古洞の湯

■古洞の湯
 連休中は二番目が帰省しており、車の運転練習をするので、自分が使えることはない。もっとも、必要な場合は送ってもらっている。体調は若干回復気味であるが全快というわけではない。今日は遠出すると聞いていたので出るまで布団の中で待つ。
 しかし、なかなか出ないので起きて出かけることにした。家計簿をつけるためにコーヒーショップまで2km歩く。雨上がりで少し肌寒い。
 ベニカナメモチの花が咲いていた。

 コーヒーショップは混んでいた。かろうじて空いていた場所はドアに近いため、出入りがあると冷たい風に身が凍みる。前では、古本市をやっている。
 個人から一冊5円か値段がつかないという価格で、高価買取して、一冊100円で販売している。それを、安い安いと物色している人が多くいる。
 昼も徒歩で帰宅する。昼食後、横になっていたら、家人と二番目が温泉に行くというので、『わしも』といっしょに行く。車に乗ってからどこへ行こうかと話しているので、一番近い古洞の湯を勧めた。

 ちょうど温泉へ行きたかったので良かった。ゆっくりとお湯につかりホカホカである。

■「定年入門」(高橋秀実著、ポプラ社、2018年)を読む。
「個人の能力なんてそんなに変わらない〜」
「定年は男の自立。」
「年長者の活躍はむしろ迷惑ではないか〜」
「長いことが苦しいわけで、長寿は一種の天罰なのである。」
「俺はぶらぶらしていない、というプライド。」
「スーパーは引退後の理想郷ということか。」
「会社って上に行けば行くほど働かされるんです。」
「〜楽したいと願い続けるということは、ずっと忙しいという証しなのである。」
「必死にぶらぶら歩く〜」
「高齢者は〜ヒマという点では強者なのである。」
「野鳥は本当に時間がつぶれます」
「〜歩くことに専念すると無になる。」
「定年後、男は農業をすべし。」
「休んで治すより使いながら治すほうがよい」
「〜左遷ってラッキーなんです。」
「私はミスしたことがありません。」
「〜僕が今一番楽しみなのは、自分がどうやって死ぬか、ということですね」
「いるのかいないのかわからない。そういえば最近みないな、と思っていたら死んでいた、くらいがちょうどよい。」
「ちょうど60歳くらいでみんな死んじゃうんですよ。」
「〜定年こそ出世だったのではないだろうか。」
「リビング・ジャック〜定年退職した夫がリビングを占領すること。」
「会社は人生ではありません」
「末期の眼〜終わりを意識することで人生は新鮮に映る。」