■庭仕事
朝起きると、腰が痛い。家人を送り届けてから、病院に電話する。症状を話したが、痛さ加減は本人しか分からないので、もう一日様子を見たらどうかという。とりあえず、明日、仮予約を入れた。
現場に着いた。どうも一番上の棚に手が届かない。昨日も寝ながら作戦を考えていたが、良案は浮かばない。やはり、反対側から枝をまたいでアクロバティックに手を伸ばすしかないと結論付けして、実施しようとした。腰の都合が悪い上に、変な姿勢を取らなければならない。ハシゴの上まで登って、足を上げた。その途端、痙攣である。足が吊る。そのままの姿勢でしばらくフリーズせざるを得ない。
♪♪あ~し~は~吊る あなたは来ない
♪♪あ~し~は~吊る いくら呼んでも
♪♪無理して上げた 太い脚が ただ 宙を蹴るだけ
♪♪ダッ、ダッ、ダッ ブヒ~、イ、イ~イ~~~
樹のてっぺんで片足を上げたまま止まっている、デブのおっさんを想像できるだろうか。
落下するかと思ったが、ゆっくりと元に戻して、♪♪そして 僕は 途方に暮れる~。
こっち側がダメなら、反対側という短絡的な発想では頭が固いと言わざるを得ない。デジタル人間でもあるまいし、アナログ人間を自負している自分は、そこで、90度右の場所にハシゴを掛ける場所を見つけたのであった。手が届けばいいので、多少の回転は、問題ない。
まあ、こんなもんだろうと、下の枝に移る。
今日で、今年度の庭仕事を終えることが出来た。怪我がなかったのがせめてもの幸いである。
昼食も取らずに、残りの、ヒラドツツジ、サツキツツジ、サルスベリ、イロハモミジをあたる。後かたずけが終わり一服していたら、ポツポツと来た。何とか間に合った。
帰宅後、昨日採取したクヌギを冷凍庫から取り出しで渇かす。
湯船にお湯を張りゆっくりと疲れを癒す。
しばらく、くつろいだ後に請求書を作成し、メールで送信する。これで、終わりである。
■「ドン・キホーテ走る」(鴻上尚史著、論創社、2019年)を読む。
「世界がどんなに複雑怪奇になって、どんなに憎悪に溢れても、それに対処するのは、“考えること”しかないんですよね。」
「~睡眠が人生に一番大切なんかじゃないかと思っています。」
「人間の起きている一生の時間は同じなんじゃなか」
「どんなにデジタルな時代になっても、結局、人間は人間と出会うことで何かが生まれるのです。」
「他人から簡単に教えられた内容は、簡単に忘れます。」
「~前回の衆議院選挙では~与党が2620万票、野党が2670万票~」
「充実の睡眠のためには、光がまったくない方がいいと、最近では言われているようです。」
「人は詩人になるのではない、詩人に生まれるのだ」
「マスコミは、“報道すべきものより、求められるもの”を報道する~」
「僕は基本的にあらゆる自粛に反対します。」
「一見非効率な存在を許容するからこそ、組織の長期的な存続は図れる~」
「~きれいに去るなんて思わずに、ダラダラとかっこ悪く生きていこう~」
「ああ、運転手つきの身分まで出世しなくてよかったなあ」
「謎の苦痛」
「やっぱり、大人数の中で戦い、生き残った人は魅力があります。」
「凧が一番高く上がるのは、風に向かっている時である。風に流されている時ではない。」
「~作家はいつでも首になる~」