趣味の拡張

■趣味の拡張

 天気予報によると一日中雨の様であるが、朝は曇りであった。今日は昨日休館日であった図書館で家人の本を借りてくることだけである。昨日と同じくセカンドオフィスへ向かう。もうそろそろと思っていると知人からのランチのお誘いがあった。そして、迎えに来ていただく。

 このランチはクーポン券を使ったのであるが、ごはん抜きの価格であった。安いと思ったが、ご飯と消費税を加えると千円近くになってしまった。ランチのクーポン券というのはライスやパン込みというのは当たり前ではないだろうか。以前、似たようなことを経験した。モーニングセットで400円となっているので、少し高いがこんなもんだろうと注文し、筒に入れられた伝票を紙の後ろから見ると2行印字されている。そこで、あわてて確認したらコーヒー代は別で700円近い金額になっていた。あれ以来、ここには行っていない。モーニングサービスでコーヒーがセットというのは当たり前ではないだろうか。こういう風に、騙し打ちのような社会になってしまったのはいつからだろうか。昔は、もうちょっと暖かい社会ではなかったかと残念だ。

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 前から家人より、だらだら歩きよりもプールで歩けば効果があるかもと言われていたが、先の”とほ活”で効果がなかったことで観念することにした。そうして、スポーツ品店で海水パンツと帽子を買う。お腹の突き出たぶよぶよの高齢者にあうのはどんなのか心配であったが、半ズボンタイプのぶかぶかのがあった。予算オーバーであったが、買てしまった。これで、いままでのパターンにプールを中心に据えた生活が加わることになった。近くにセカンドオフィスがあるので、こことの組み合わせになろう。

 帰路は風が強く、冷たかった。雪がちらついても不思議はない。途中で、ドラッグストアの前を通る。遠くからでも貼り紙が貼ってあれば昨日と同じだと分かる。しかし、今日は貼り紙が外されていた。これは確認しなければならないと入店する。ティッシュペーパーとトイレットペーパーが置かれていた。一家族一日2箱という制限付きであった。しかし、自宅で使っている銘柄はなかった。値段を見て驚いた。割高になっている。生きていく上でそんなに重要ではない、自動車やスマホなどの嗜好品は高くしてもいいと思うが、生活必需品でこういう態度はないのではないだろうか。人の弱みに付け込む商法に嫌気を感じ買うのをやめた。別に安くしてくれとは思わないが、いつもの価格にして欲しかった。このように、弱いものを足蹴にする社会になったのはいつからだろうか。生きにくい世の中になったものだ。これが、豊かな社会なのだろうか。断じて違うだろう。だんだん、廃れている社会に向かっているようだ。

 最近テレビでは自分のことを盛んに報道されている。高齢者で持病を持っている人が一番危ないという報道である。だからどうすればいいのだろうか。家から出るなというのか。2週間で終息傾向になると本当に考えているのか。答えは今週末に出る。だいたい、今までもインフルエンザで亡くなる方は一定数いたのではないか。

 もうすぐ、別のドラッグストアが開店するので、2か所を比べて安い方で買おうと思っている。こんなときに、ポイント何倍というのに引っかからないようにしたい。1ポイントが5倍でも5円である。方や、10円引きがあったら、そっちの方を買うのは必然であろう。

■「ビンボーの女王」(尾崎将也著、河出書房新社、2017年)を読む。

「最近、自分の存在がいつか消えてなくなってしまうような不安にとらわれることがある。」

「とことん搾り取られるのが離婚てもんだ。」

「会社は何もしてくれなかったそうだ。みんな搾取されて使い捨てられるんだよ」

「普通のサラリーマンは安定と引き換えに搾取されることを受け入れた人間だ。」

「何か書いておかないと、毎日何をしていたかすぐに忘れてしまう~」

「日本の貯蓄のほとんどは老人が独占している~」

「~威張っている奴は苦しめばいいんだ」

「いわゆる“詰んだ”というやつだ。」

「批判する材料を探し、見つけたら一斉に叩いて、自分は正しい側に立っていると思い安心する。」

「人を金儲けのネタとしか考えてない」

「しょせんこいつはサラリーマンだ。自分の食い扶持が安泰ならそれでいいんだ。」

「本当に幸せな人って、もし宝くじに当たって三億円手に入ったとしても、今の暮らしを変えるつもりがない~」