ザ・ランチ

■ザ・ランチ

 いつだったか忘れてしまったが、知人のTさんとランチへ行きましょうという話になっていた。しかし、日にちまでは決まっておらず、記憶の片隅に追いやられていた。

 ところが、昨日、連絡が入り本日実施する予定ができたのであった。

 朝は、5時44分に目覚める。そして、いつものように音楽を掛けて本を読んでいたら、睡魔が襲って来て二度寝する。家人を職場に届けてから公園に向かう。公園を少し歩いて、車の中で休むと昼近くになった。ここまでは、ルーチンになっている。

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 子供を送り届けてから知人のTさんと合流し、ランチへ向かう。実は、会ってから分かった次第であった。肉を存分に食べ、寿司も食べ、野菜も食べ、デザートも食べるというもので豪華版である。

 嬉しいことにシルバー割引がある。市内のシルバー割引は75歳からというのがあるが、ここは60歳からで有難かった。おまけに、あるカードがあるとドリンクバーが無料になるという特典がついており、知人のTさんが持っていた。

 自分は初めての入店で戸惑ったね。先に肉だけを焼いて食べようとしたが、ほとんどの方は、先に食べるべきものを全部持ってきているので、方針変更する。

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 時間は90分間であるが、いままでの経験でこの時間が長いことは分かっている。ゆっくり食べたつもりであるが、30分で満腹になった。最後のデザートや果物も良かったね。

 まさに、ザ・ランチであった。

 お腹が膨れすぎたので公園を歩くことにした。いつもは、喫茶店でコーヒーという流れになるが、お互い水分は一滴も受け付けない。

 公園には、いろいろな実がなっていた。サクラ属であった。たぶんオオシマザクラではなかろうかと思っていたが、実を付けていた。食べると、さくらんぼのようであった。

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 歩数が一万歩になるまで公園内を散策する。午後からであったが、日陰の石に腰かけていると涼しい初夏の風が全身を包も、思わず笑顔になる。

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 もう少し居たかったが、子供から迎えの連絡が来たので、自宅まで送っていただき別れる。

 今日は久しぶりで沢山食べたなあ。

■「禅語に生きる」(立松和平著、淡交社、2009年)を読む。

「学ぶというのは真似ることである。」

「本来の自己とは~もともと何もないのである。」

「因縁が人格をつくっていくといってもよい。」

「ただ歴史というものは、いつも勝者によってつくられる。つまり、勝ったものが正しいのである。そんなものだ。」

「どんな時代であっても、人の歩むべき道は一つしかない。」

「自然とは慰謝という深い心を持っている。」

「奇跡が起こる前には、長い時間をかけて準備がされているものだ。」

「本当の幸せとは、当たり前の暮らしの中にある。」

「生きるとはただその日その日を送ることなり」

「~水を中心として大地は設計されていた~」

「学道の人はまずすべからく貧乏でなければなりません。」

「欲を小さくし、足るを知る。」

「禅とは何かと問われたら、人生のすべてだと答えたい。」

「足ることを知れば、たとえ不足していても、それが楽しい。」

坐禅をすることは身心脱落に至ります。」

「あなたは自分以外のすべての人が成功者だと思っているが、みんなそれなりに努力をしている。努力の姿を見せないだけなのである。あなたは努力をしてますか。」

「心を超えたところに無があり~」

「修行もせずに命ながらえても、それは虚しいことである。」

「知識を執着することが間違いだと~」

「この今のこの日を空しく過ごさずして、毎日毎日その時その時を全力で生きていなかければならないのだ。」

諸行無常の世の中で、人が確実に死に向かっていることだけは間違いない。」