初夏の公園

■初夏の公園

 今日は朝方は雨予報であった。昨日の話では、今朝二人で出かけるということであったので、朝から歩く計画を立てていた。しかし、案の定、子供が起きてこないので、いつもの送迎になる。電話がかかってきても短時間で対応するために近くの公園に向かう。

 出る前に、実家の前のマサキに緑色の花が咲いていた。

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 公園では、調べたいことが決まっていた。この樹である。

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 いままでであったら、気軽にシナノキと判断していただろうが、本当だろうか。

 「おとうが いうには 左右非対象で基部ハート型の三角形に近い葉である」

 「それは シナノキ科だな シナノキ オオバボタイジュ ノジリボタイジュ ボタイジュ ヘラノキのどれかだ」

 「おとうが いうには 葉の裏は白くないという」

 「そしたら ノジリボタイジュちゃうやないか ノジリボタイジュは裏面は白い」

 「おとうが いうには 樹皮は縦に浅裂しているという」

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 「そしたら ヘラノキちゃうじゃないか、ヘラノキは燐状にはがれる」

 「おとうが いうには 葉の先端が尾状に伸びているという」

 「そしたら ボタイジュちゃうやないか ボタイジュの先端は尖っている」

 「おとうが いうには 葉の大きさは8cmほどという」

 「残っているシナノキ、オオババタイジュもその範囲でわからんわ」

 「おとうが いうには 近くに似たような葉で大きな樹があった」

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 「そしたら最初のは オオバボタイジュちゃうやないか シナノキということになる」

 「近くにこんな樹があった」

 「これがヘラノキちゃう」

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 「こっちが、ボタイジュやないか」
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 「しかし、そんなに都合よくシナノキ科が植えてあるかいな」

 公園の外周を回れば3,500歩ほどになる。プラタナスがある。これは、アメリスズカケノキである。モミジバスズカケノキが多い中で、珍しいと思う。

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 これは、アカメガシワの雌花であろう。

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 先日まで花が咲いていたトベラにもう実が成っている。

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 アジサイは難しいね。ここに3種類見えるが、どうも調べる気力が起きない。まあ、全部装飾花はアジサイであろうが。

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 サカキの花も咲いていた。

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 今日は1万6千歩を越えた。

■「希望という名のアナログ日記」(角田光代著、小学館、2019年)を読む。

「~“売れる”ということが異常事態である~」

「変化と不変をおそれない。それは、永遠を知っているということだ。」

「長く残っているものには理由がある~」

「緑の手」

「自然が多い、というのは季節をダイレクトに感じられるということなのか~」

「筋肉をつけ、維持するのに八年もかかっているのに、落ちるのはこんなにすぐなのか。」

「今日一日を、昨日と同じようにくり返せること~堀った穴を埋めるような一日が過ごせることーーーーそのほうが、ずっと幸福だと思うようになった。」

「~生きる意志のある人にしか、感動は訪れないはずだもの」

「人間の五感のなかでもっとも完璧なのは、臭覚」

「一日の苦労は一日で十分」