待機

■待機

 今月から仕事をすることにした。人事部よりの電話では10日ごろから開始で、もう一度電話するということであった。まだ、電話は無い。そこで、ユニフォームを持って駅前で待つことにした。交通費が出ないので駅前までは徒歩で向かう。幸い、マックドが出来たのが分っていたので、ここで待つ。しかし、電話はなかった。そこで、年金を引き出そうと銀行へ入り、操作したら手数料110円と出る。あわてて、キャンセルした。はて、今日は何の日だったかと調べたら、山の日で祭日であった。これでは、電話も来ない訳である。

 山の日については、あまり関わり合いが無い。山の関係者がイベントを企画して、参加料を得る機会であろうぐらいにしか思えない。山へ登ったって、人生観なんか変わるわけがない。定年前に盛んに百名山を登る人達が居るが、直ぐに飽きると思う。

 おかげで、帰宅する時には1万5千歩にもなっており、今日はもう歩かなくていい。

 なんか、暑い日であった。近年にない暑さである。夕方テレビで確認すると38℃ぐらいで全国3位ということであった。

 昼はどうするかを考えながら帰路に着いた。途中の八百屋さんで物色する。変わったナスビがあったのでこれを求める。フライパンには入らない長さであったので、ずらしながら焼く。ソーメンは、大根おろしと、ショウガを添えた。

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 ナスはみずみずしく美味しかった。まだ、数回調理できる。

 昼寝をしてからコーヒーを飲みに出る。最短の喫茶店は月曜日は休みなので、そこより300mほど遠くの店に向かう。しかし、休みであった。日、祭日は休むことに変更したという張り紙がしてあった。さらに、遠くまで行く元気はなく、戻って自宅でアイスオーレを作ってちびちびとやっていた。

 明日は電話は来るかどうか。家人に言わせると辞めたら、と強く勧める。まあ、辞めてもいいのだけれど、真の目的は伝えてない。実は、筋トレが目的なのである。

■「べらぼうくん」(万城目学著、文藝春秋、2019年)を読む。

「大きな挫折を経験し、それを糧に若者は成長する。」

「~長く助走をとった方がより遠くに飛べる~」

「人間は健康を損なったとき健康のありがたさを、不自由を強いられたとき自由の尊さを知る。」

「~真のエリートは、だいたいあごのまわりの骨格が立派である。」

「当然ながら入学しても何も起こらなかった。」

「文明がその頂点にあるとき、すでに衰亡の種子が芽生えている。」

「京都とは毒沼である。」

「就職するにあたってまず基本方針に置いたのが“あまり働かない”ということだ。」

「~ただ部屋でひとり、ひぐらしぼけっと過ごす~」

「頭痛は無視できても、胃痛は無視できない」

「私には無職の才能があった。」

「半額になった弁当を買い、部屋に戻る。」

「商売が思うようにいかない人からは、顔だけでなく、身体の全体から“張り”が消えていく。」

「座りすぎの作業には注意しなければならない~」

「~この世でいちばん嫌な仕事は管理人ですよ。汚いのを全部掃除してね。」

「~どの作品も一次選考すら突破できなかった。」

「状況は、つまりどん底だった。」

「私は弱っていた。」

「精魂こめて書き上げた小説が落とされる。すると、一個分の“独りよがり”が落ちていく。」

「おもしろいエッセイとは、人がうまくいっていない話について書かれたもの」