■調整
今日も仕事は午後からになった。交通費が出ないことと歩数を稼がなければならないので、駅まで歩くことになる。しかし、暑い。そこで、セカンドオフィス経由で向かうことにした。まず、セカンドオフィスまで歩き2時間ほどゆっくりする。その後、駅へ向かうのである。
セカンドオフィスでは、いつもの常連さんが顔を見せていた。先日、近江へ旅行されてきた方のスマホ写真で大いに盛り上がった。希少な部位の前菜が良かった。名前は忘れてしまった。山の話もあった。遭難が増えているという。
駅へは日陰を選んで歩いていたので、もうすっかり秋の風であった。汗は出ない。
電車で最寄り駅へ向かい、職場までも歩く。今日の作業は、”投入作業”であった。久しぶりに筋トレができる。全部で6ラインあり、1ライン3名で構成されている。そして、30分交代である。ひたすらベルトコンベアーに品物を並べる作業が30分2作業とコンテナをロール・搬送レールに乗せるのが30分である。これは、ほとんど休憩になっている。
作業が始まってしばらくすると、人事部の方が隣の人に向かって、”明日休んで欲しい”と告げていた。そして、勤務終了後、自分を含めた何人かが残されて伝達を受ける。品物が少ないので、他に用事がある方は、そちらを優先して欲しいという話であった。要するに、辞めて欲しいということである。品物が少い場合、現在6ライン稼働を5ラインにすれば10人ほど不要になる。そして、毎日交代で休んでいただくことになるという。いわゆる雇用調整であろうか。
まあ、その時はその時でいい、というのがその時の感じであった。そうして、来年に向けて活動しておこうと考えた。
■「おこりんぼう」(林 望著、春陽堂書店、2020年)読む。
「かくて商業主義に踊らされている日本国民の姿を見せられるのは、まことに悲しい。」
「概して鉄道は、~収益性ばかり追求して、顧客の利便性に真面目に向き合っているとはとうてい思えぬ。」
「~社員を疑似家族的に見て、公私混同の風潮の中で、社員の個人としての尊厳や意思を尊重しないという時代の行き方であった。」
「ひたすらクロスワードなど試みている暇に、もっと社会のこと、人生のありよう、自然との対話、芸術的創造など、さまざま学び、考えなくてはいけないことが山ほどある~」
「いっそインターネットなどは一切無くなってしまったほうが良いのではないか。」
「今では、いかなる理由があろうとも、飲み会という形の会合には一切参加しない。」
「~常に最悪の地震が来たらどうするかと、考えながら歩くのが私の主義だからだ。」
「現実は、“どんなことでも起こり得る”のであり~」
「~人間にとって還暦ともなれば、多少ハンサムだとか美人だとか~そんなことは“人としての価値”としてカウントされなくなる。」
「路傍の草を見よ、庭の片隅の苔を眺めよ、そこにどんなに可憐で力強く生き続けてきた自然が存在しているか。」
「研究というものは、もとより“いついつまでに、かくかくしかじかの成果を出します”などと、予め定められるようなものではないのが本来だ。」
「ああ、世の中にスマホなどというものが無かったら、どんなに心安らかであろうかなあ!」
「常に最悪の状況を想定して備えておく」
「人生はいわば病気を抱えている人のようなもの~」
「つまりは、かれといい、これといい、飽食と肥満とが根本の原因なのだ。」
「かくて、自らひたすら料理の工夫をして~」
「目玉の筋トレ」
「~美味しいものにはとかく毒もある。」
「いつも快適に清潔に、それが私の“暮らし方”なのだ。」
「~“空腹を楽しむ”という境地に立ち至ることこそ、ほんとうの贅沢に違いない。」
「世の中というものは、案外と公正なもので、真面目に努力する人は、長い目で見ると、ちゃんと報われるようになっている。」
「~いくら電子本を盛大に宣伝しようとも、それが読書の主流になることは、だぶん日本ではあり得ない。」
「~顔を美しくするものは、ひとえにその人の内面の光だと私は信じて疑わない。」
「非礼や暴力からは、なにも生まれはしないのである。」
「自分さえ良ければいいという考えでは、誰も幸福になれない。」
「~一日一万歩ほど歩くことは欠かさない。」
「いずれ人生には限りがある。なにもかも実現できるわけではない。」