運動公園

■運動公園

 予定では、今日も送り迎えの一日になる。そこで、朝出発前に公園まで歩く。公園歩きで楽しいのは、わからない植物、忘れている植物との出会いである。どこかの先生が話していたが、樹木が分かるということは、名前だけではなく、その性質も理解しておかなければならないとか、当然、春夏秋冬の姿であっても分からなければならないとか。

 そこで、いつものように目に付く樹木から同定しながら歩く。ある樹で足が止まる。どうも思い出せない。以前は、調べたりしたが、どうせ直ぐに忘れるのだからそのままにしている。

 ヤマブキにしては葉の形が違うし、八重である。まあ、ヤエヤマブキもあるが、葉の形がそうではない決め手である。まあ、どうでもいい。

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 家人を送ってから資源回収の時間まで少し時間があるので、運動公園を歩く。日曜日でいい天気なものだから、とんでもない人が来ている。マラソンの練習会があるようだ。

 ここも、同定しながら歩く。

 花が咲いたような樹が見えた。たぶん、コナラであろう。

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 こぶこぶの樹もあった。なんだろうねえ。

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 見たこともないどんぐりを付けている樹があった。なんだろうねえ。

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 遠くから見ると茶色の花のように見える。クヌギの雄しべである。

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 公園を後にして資源回収に向かう。かなり面倒くさい。缶の蓋は対象ではないので持ち帰りであったが、蓋が容器に付いているのは回収対象である。

 子供から連絡があるまで、セカンドオフィスで過ごす。なんか、久しぶりの感じがする。

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 カップルの女性の声が大きくて気が散る。顔を向けてアピールしたが、スルーであった。来客時の「いらっしゃいませ!」の混成全員合掌はやめてほしい。一人が言えばいいのではないか。一人が「いらっしゃいませ!」というと、次々と「いらっしゃいませ!」が続く。そして、どの声も大きい。最初は、老化により自分の耳が難聴の反対でなんていうか分からないか、聞こえすぎるようになったかと思った。

 結局、連絡がないので帰宅する。今日は、ダイコンおろし蕎麦にした。ダイコンをおろすのに手が疲れたね。もっと、効率のいいおろし方はないのだろうか。結婚以来、おろし金ではなく、瀬戸物のおろし器具なので、摩耗してきた可能性が高い。天ぷらは昨日の山菜テンプラの残りである。暑い日のおろし蕎麦は良かった。

 登山のお誘いの電話が入った。一応、保留にした。家族の予定を確認して申し込みをする予定である。

 歩数は9千歩でまあまあである。

■「ハレルヤ」(保坂和志著、新潮社、2018年)を読む。

「~現在は過去の結果であり、過去は現在の要因である~」

「音楽は金のためにやるものではない。」

「~一日四、五ページぐらいのペースで読んでいた。」

「~私は人間を常態として委縮させつづけられている。」

「~人生というのはあれもできるこれもできるでなく、これしかできないと知ることだと考えるようになり~」

「もう希望することを止めた陽気さ」

「三毛猫というのは遺伝的にメスしかいなくて~」

「~人間というのは、現実に目で見たことを基盤にして思考する~」

「~自分のことを何もせずに誰かのことだけするというのは、じつは一番充実する。」

「だいたい生きるというのはそんなにいいことなのだろうか~」

「感動したことを書く、あるいは心が激しく動いたことを書く~」

「自分が死んでも世界はある」