エールキャンドルナイト

■エールキャンドルナイト

 今日は家人は早出である。いつもより一時間早く家を出る。その後、恒例のセカンドオフィスへ向かう。この時刻では空いていた。退職してから曜日の感覚が鈍くなり、特に祭日についてはほとんど意識しなくなった。テレビでは4連休などと言っているが、はて?何の日なねえ。こっちは、いつも連休である。

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 今日の予定は夕方、隣校下でキャンドルによりイルミネーションのような展示があり誘われていた。セカンドオフィスで子供からの連絡を待つ。11時という連絡が来たので帰路に着く。

 帰宅したが、まだ寝ていた。起きてから1時間はかかっているので、この間に昼食を済ますことにした。一番手っ取り早い、ザルラーメンである。つけ麺ともいうらしい。

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 予定では担々麺にすべく肉みそを作ってあったのであるが、こう暑いと冷たいものに限る。肉みそには、酒を入れたので味に深みが出た。麺も大盛りだ。

 次いで、連絡があるまで2階の子供の部屋に入りエアコンを付けて眠る。14時なっても音沙汰がないので階下へ降りて行くと、高校野球を見ている。そのまに、食器を洗い、洗濯物を取り込み、また休む。結局出たのが16時であった。そのまま家人を迎えに行く。

 夕飯を済ませた後に、キャンドルである。

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 どんなのか見るまで分からなかったが、LED照明を紙で作った筒に入れてある。そして、不思議なのは点いたり消えたりしている。それが、光の波のように浮かび上がり、一瞬で釘付けになった。悩んでいたことは完全に忘れていることに気が付いた。カタルシス、精神の浄化作用が起きたようだった。

 ■「枯れてたまるか!」(嵐山光三郎著、新潮社、2017年)を読む。(その1)

「年をとると、老人の新芽が出てくるのです。」

枯山水の石庭というのは、京都に庭を造りすぎて、池へひく水がなくなってしまったから出来たのである。」

「年をとったぐらいで、物わかりのいいジジイになるなかれ。」

「門松は冥途の旅の一里塚」

「老朽化した家を壊すのが、私に残された課題であるが~」

「人間は植物がなければ生きていけないが、植物は人間がいなくても生きつづける。」

「運は使い切っても、また出てくる。」

「七十歳をすぎれば、だれもが吉凶は半分こなんだよ」

「運に強い人は、“強運がくるとき”を平常心で狙っている。」

「勝ちつづけているときは、じつは危険な予兆をはらんでいる。」

「死を考えない日はないが、それは必ずしも恐怖をともなわず、幾分楽しくさえある」

「客の回転率をよくするため湯は熱い。」

「温泉の不思議な治癒力によって私は再生されたのだった。」

「歳をとると想定外のことがおこる。」