秋の予感

■秋の予感

 久しぶりに仕事は休みであった。朝方は雨が降っていたが、出かける頃には止んでくれた。今日は、仕事前の状態に精神をリセットさせたいので、開店時刻にセカンドオフィスに向かう。

 今年のお盆は雨のおかげでありがたい。子供が帰省して、エアコンの無い自分の部屋で寝なければならないと覚悟していたが、扇風機だけで暑さはしのげている。朝歩いていると、秋の風のように感じた。涼しい。自然に、♪今はもう秋~や♪秋のかぜが吹いて ふねをたたむころ~を口ずさむ。

 驚いたことに常連さんの一人が1時間も早く入店された。温泉へ行くための時間調整ということであった。きっかけは忘れてしまったが、経済連に勤めておられた時の話を面白く聞けた。卵の配送や枝肉の運搬である。

 Y.O.さんもお見えになり、二人目の常連さんも見えられた。

 充電器は半分の容量なのでしばらく充電して、図書館へ向かう。用件は、延長手続きである。仕事を始めてから、なかなか本を読めてない。どうでもいいが・・・。

 帰宅途中で昼食を考える。あまり暑くないので味噌ラーメンが食べたいが、打ってある麺はない。そこで、市販の麺と生姜焼き用の豚肉を買って作った。

 自家製のミョウガも添えた。

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 麺は高いのを買ったが、残念な結果であった。いつも手打ち麺のモチモチ感を味わっているので、カスカスの麺で楽しみな昼食が台無しになった。

 しばらく昼寝して、家事である。コメを入れる。味噌を入れる。食器を洗う。洗濯ものを取り込む、薬局へ水をもらいに行く・・・・・。

 ここ何日も顔を出さなかった喫茶店へ向かう。今日はレアチーズケーキも付けた。

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 やはり落ち着くね。BGMでは、EWF(アースウインドアンドファイヤー)のセプテンバーが掛かっており、自然にリズムを取ってしまった。

 帰宅時に空を見ると鱗雲が拡がっている。もう秋だ。

 子供が小さい時、学校の宿題として、秋見つけ、という課題をもらって来たので、いっしょに探しに出かけたことなど懐かしく思い出す。

■「人間のけじめ」(上坂冬子著、海竜社、2006年)を読む。

「~戦争のない世界などあり得ないのだから“泥棒がまだ居るのに警察をやめるようなものだ”~」

「基礎知識のない人々を相手に是非だけを聞いている~」

「目には目、歯には歯というのは、低次元の報復だという見方もあろうが、物事を最終的に解決するにはこの捨て身以外にない~」

「国家と個人を同一の次元でいっしょに論じるという~」

「国家体制と無関係に、個人の意見で活動した者の最終責任は、死のうが生きようが個人にある。」

「戦争に敗けてからの日本の学校教育の場では、運動会で一等賞を決めることが差別につながるなどとバカな判断をしたものだ。」

「ゆとりある教育だの、ボランティアのすすめだのが人間形成と人権尊重の基本であるかのように錯覚し、堕落していく日本人の何と多いことか。」

「生まれたときから人権があるなどという屁理屈に惑わされまい。」

「学歴はないよりあったほうがいい。」

「人間社会は覗き趣味をも含めて成り立っているのに。」

「この世は生きたマンガだから~」

「本気で物事を解決するつもりなら座して情報を待つのではなく、情報は駈けずり回って自力で探り出すべきものである。」

「何事によらず、危機管理の第一条件は過信という名の思い上がりだと~」

「~人生の幸せの条件は愛と仕事だ~」

「~運命に打ちひしがれないために必要なのは、品格だ。」

「~人間の予測なんてタカが知れている。」

「自然とお付き合いをして楽しく生きてきました~」

「最後までタフに生きるには、原動力として怨みつらみが必要だろう。」

「賢い判断の下せる年齢には限界がある。」

「仕事を離れて、この世に生まれてきたことの意味をゆっくりと味わってみる時期があってもいいと思います。」