座談会

■座談会

 今日も仕事である。天気がいいので家人が自転車通勤するというので、自家用車は自分が使わなければならない。

 いつものように、子どもから連絡があるまで、セカンドオフィスで過ごす。

 図書館が開館したので、先に3冊ほど借りる。家族からいろいろ頼まれごとを消化していると、昼食時間が遅くなった。

 喫茶店の経営者は、いつもの時刻に来ないものだから、休まされていると思っていたらしい。

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 投入場所を覗くと、まあまあの入りである。これは3時間コースであろう。

 作業場所は、昨日に引続き早いラインであった。日替わりで交代していたのにである。今日は、通常通りのスピードで流れて来た。終わったのが3時間後であった。

 今日の予定は森林インストラクターの座談会である。気軽に雑談を交わしましょうという主旨であったと思っていたが送られてきた進行表には、30周年を迎えるにあたっての話とあり、面食らっている。また、参加者が20名弱と少ないのが気にかかる。

 まだ、取得して2年ほどということと、森林インストラクターとして活動していないので、意見はだせないなあ。

 座談会が始まったが、予想に反して皆好き放題の意見をいう場になった。自分も日頃思っていることをぶつけたら、取り上げてもらえた。こんな場に参加する人は活躍されている方が多く大いに啓発された。

 自分の持論は「資格や知識や能力を持っていても、ボランティアや謝礼程度しか支給されないような活躍しかできないと、何も持ってないと同じである。」ということを主張した。

■「無意味とスカシカシパン」(春日武彦著、青土社、2021年)を読む。(その2)

「だが本当の趣味は人間観察である。」

「人が生きることに意味があったとしたら、それは自己愛を満足させることと同じなのか。」

「本人が大切に思っていることが、いわば錯覚でしかないことは珍しきない。」

「人生が順調で思い通りになっている奴は、いざこざなんか起こさない」

「経験さえ積めば人は賢くなるわけではない。」

「相手に腹を立てるのは、どこかに期待を抱いているからである。」

「~土下座はいたしません。なぜならわたしは土下座が最大級の謝罪の態度とは思ってないからです。」

「~人の心にはアキレス腱~プライド・こだわり・被害者意識~」

「他人と同じになることが、精神に安寧をもたらす。」

「権威に寄りかかったものだけをありがたり、いじましい権利ばかりを主張し、心の半分は思い上がり、残りの半分は嫉妬で構成されている。」

「自分には限られたことしかできない、自分には限界があるーーー」

「志を持つということは、自分を大切にすることと同じ意味合いを持ってくる。」

「~生きる意味とは“とにかく生きていること”そのものである~」

「しかし仮に人類が天変地異に見舞われた場合、統合失調症の人たちのほうが生き残れる可能性は高いのである。」