■引っ張らず
今日も仕事である。家人は自転車通勤をするので、自家用車は自分の管理になる。
今日も朝一でセカンドオフィスに向かう。窓側の丸テーブルに座り、足を組んで過ごす。今の季節は外を眺めているだけでもいい気持になる。
子供を送ってから職場へ向かい、近くの喫茶店でランチである。
一瞬、串カツかと思ったが、トンカツであった。
店を出てから投入場所を確認すると少ない。1時間半ほどの量である。こういう場合は、2時間まで引っ張るのがここの流儀である。
配置は昨日と同じ早いラインであった。心の中ではゆっくりと流れるものと疑わなかった。しかし、いつもの速度で流れてくる。そのため、2時間以内に終了した。今日は引っ張らなかったんだなあ。まあ、こんな日もある。
事務所では騒がしいので、聞いて見ると、台風のため休日が稼働日になったということであった。自分は予定があるので、当然ながら仕事よりも自分の予定を優先させていただく。
早く終わったがやることは同じである。先ずは洗濯である。その後、子どもを迎えにいったら一日が終わる。
■「無意味とスカシカシパン」(春日武彦著、青土社、2021年)を読む。(その3)
「ある程度の知能を前提とすれば、大人が想像するほど子どもは単純素朴ではない。」
「SOSを出せない人を洞察する能力が大切なことを~」
「~本質をわきまえない愚かな工夫~」
「~モチベーションだの動機だのに特別なものなど存在しなくなっていくのが成熟社会という形態なのかもしれない。」
「裏の部分こそが真実の姿で、そこには倫理や道徳に反しかねない“ホンネ”が身を潜めている~」
「裏表のある人間は嫌われる。けれども裏表のない人間は周囲を戸惑わせる。」
「人に裏表があるのは当然である。」
「わたしは会社の犠牲となってうつ病に至った」
「他人と“つるんで”ばかりいるとバカになる~人間としての“底が浅くなる”」
「虚しさには思考停止を促す作用があるらしい。」
「わたしは明るい家が大嫌いだ。」
「この言葉には“ぎくり”とする。“絶好調です!”」
「基本的に、人間は日々の生活において若干“うつっぽい”方向にシフトしているのはないだろうか。」