■ここか
今日も仕事である。午後からであるが、いつもは朝6時半から始まる。しかし、今日は6時から行動開始である。昨晩家人が柿が無くなったと言っていたので、早朝から柿をもいだ。ついでに、ミョウガも摘んだ。
終わってから、セカンドオフィスに向かう。今日もいい気持であった。温度が高いのか、日陰を選んで歩いた。
数分遅れたが指定席は空いていた。朝刊に目を通し、しばらく本を読んでいたが、直ぐに眠ってしまう。こういうことを何回か繰り返していると、常連さん達が入店された。今日も栗の話なので、こっちから販売したらどうかと炊き付けたら、わりと真面目に取り組んでくれそうだ。温泉の話もでたが、温泉券は3枚あるがなかなか行けそうもない。仕事が終わってからになろうか。
バス時刻になったので店を出る。仕事の前にランチである。
昨日の帰りしな、自分の配置は確認していた。出荷となっているが、やったことはないと思っていた。初めての作業の場合のルールとして、名札を斜めにするので、昨日は斜めにしておいた。しかし、今日は元に戻っている。
人事部に作業内容を確認したら、思い出した。昨年やっていた。ここか!
このラインは、一番大きな商品を扱うラインである。既存のラインでは対応できないので、個別に外付けされているラインである。そのため、既存のラインでは自動化されている作業も手動でおこなわなければならない。そして、工場始まって以来と言っている大量の商品が積んである。
普通は2名で担当するが今日は4名に増員しての対応で、自分はその増員用であった。
忙しいのなんの。目が回るほどであり、汗びっしょりになった。こんなもん、夕方までかかってしまうと覚悟していたら、15時で打ち止めになり、明日続きをやるという。作業内容はまずは、製缶である。コンプレッサーでプシュ、プシュと銅の針を打ち込んで箱を作る。続いて、スタンプ押しである。6種類あるので、それぞれ押す。
そうして、箱詰めの方に渡すのである。終われば、引き取って、蓋をして今度は手動でホッチキスを押し、パレットに並べて終わりである。
筋トレにもなったと思う。150箱ほどであった。
明日は、ダンボール入れに戻るようだ。
終わってからバスで帰宅したが、疲労が激しい。しばらく、なご成っていた。
■「コモンの再生」(内田 樹著、文藝春秋、2020年)を読む。(その2)
「~国民に向かって“国のためにお前たちは何を犠牲にできるか”と凄む政党の方が、“国民のために国は何ができるか”を配慮する政党よりも人気があるのです。」
「“パノプティコン”~囚人は“自分が監視されているかも知れない”と思うと身動きができなくなる。」
「~学校、病院、警察の不祥事はその多くが“内部告発”によるものです。」
「権力者がその権力を誇示する効果的な方法は“無意味な作業をさせること”です。」
「政府が自分の金を取り上げることも、自分の命を自由に使うことも、どちらも忌避するのがリバタリアンです。」
「“ほう・れん・そう”というのは要するに“現場は判断するな”ということですから~」
「メディア・リテラシーというのは、“その真意を知らない事実についても真偽の判定ができる能力”のことです。」
「人間の根源的な生命活動のうちで意識的に統御できるのは呼吸だけです。」
「~瞑想って、“自我の支配”から解放されることなんです。」
「自我の縛りを逃れるというのは、生きるためには必要なことなんです。」
「仕事の効率を上げようと思ったら、とにかくルーチン化すること。」
「才能は温室で開花する」
「“楽しくやっていること”は脅かさなくても、札びらを切らなくても、自発的にやってくれます。」
「健康を数値的に表示し、健康の条件を狭く限定するというのは、“不健康な人間”の頭数を増やすことにしかなりません。」
「人間は程度の差はあれ、種類の違いはあれ、全部何らかの病気である。」
「僕は健康というのは“適度”ということだと思っています。」
「~米西戦争の問題点は、これを煽って国民的規模の好戦的気分を醸成したのが新聞だったということです。」
「まずは君が落ち着け」
「“正義”もあまりに厳密に適用されると、むしろ社会を生きにくいものにする。」