■無題
今日も雨や雪が降らないようだ。しかし、朝から全身筋肉痛と腰痛がひどく、起きたのは8時近くであった。足の痙攣は「ケ」だけ残った。
道路は乾いていると考えて、シューズで歩く。しかし、歩道は雪道が多く靴の中が濡れて来た。
身体を元気にすべき、プロテインを補給する。
入店して新聞に目を通している間に、常連さんが1名来店される。今日もいろいろの話で盛り上がった。
今日は入店が遅かったので、少し時間を伸ばす。
昼前に出る。今日の昼食は、マーボラーメンになるので、買い物はない。
いままでの中で一番旨かった。豆板醤の量なのか煮込む時間なのか分からないね。
食べ終わったら汗が出てくるので、暖房を消す。
しばらく昼寝してから、フォレストの準備作業を行う。
その後、プリンターのインクを買いに行き、そのついでのコーヒーを飲む。
いろいろ考えることができて気に行っている。おまけに100円で済む。
少し疲労が出ているのかもしれない。リタイヤ後の一番大切な生活習慣は如何に休むかである。ここで思い出したことがあった。認知症の検査で、今日は何日とか何曜日とか聞かれるそうだ。こっちは、そんなものと縁のない生活をしているので、今の自分が受ければ認知症と判断されるのではないかと思う。もっと、技術的な検査はないのだろうか。
■「SDGs時代の森林管理の理念と技術」(山田容三著、昭和堂、2020年)を読む。(その2)
「生物保護~人間だけでなく、生物の種、生態系、景観などにも生存の権利があるので、勝手にそれを否定してはならない」
「地球有限主義~地球の生態系は、開いた宇宙ではなくて閉じた世界である」
「世代間倫理~現在世代は、未来世代の生存可能性に対して責任がある」
「~一部の人間の利益のために大面積の森林伐採が行われ、そこに暮らしてきた原住民の生活の場を奪うとともに、野生動物たちの住みかも奪っている。」
「すべての人間を救おうとする人道的な行為を採用すれば、地球は破滅するだろう。」
「生態系は環境の変化に対応して、形を変えながらもその土地に持続してきた存在で
あるから、わざわざ人間が守る必要がない~」
「~なぜ“現在の生態系を守る”かといえば、“人間の存続”のためではなかろうか」
「人間中心主義を否定するあまり、経済活動の問題に取り組むことを拒み、人間の意識改革を求める精神論に終始することになり、結局、実効性のない空論に陥っている~」
「自然は恵みを与えてくれる優しい存在であるとともに、自然の変化に敏感でない者や怠け者に対しては厳しい存在であった。」
「己を空して物を見る。」
「日本人は“自然は人間の技術によって制御できる”という西洋思想にかぶれて、日々の生活の中で自然の兆候を敏感に感じるセンスを失い~」
「~自分とのかかわりのない遠くの自然に対して愛情がなく、どうなろうとあまり関心がない。」
「日本人は生まれたときは神社にお宮参りをし、結婚式はキリスト協会で挙げ、お正月は神社に初詣に行き、お葬式はお寺で行い、最後に仏教のお墓に入る~」
「高性能森林機械の普及は、これまでの日本の森林管理の歴史を捨て、機械に合わせた森林管理を全国的に推し進めようという考え方である。」
「日本はこれまでも自然災害をたびたび受けてきており、被害を受けやすい場所には注意を促すための地名をつけることで、被害の履歴を後世に残してきた。例えば、蛇や谷のつく地名、久保は窪地、梅は埋立地、新田は造成地を表していた。しかし、、町名改正によりこれらの古い地名は失われている。」