筋肉痛

■筋肉痛

 昨晩は恐竜の番組を見ていたが、気が付いたら朝の4時であった。やはり連登で疲れが溜まっていたのだろう。直ぐに、日課のクラッシク音楽を掛け、アイスオーレを作りに階下へ降りて行こうと立ち上がったところ、両ふくらはぎに最近経験したことのない痛みがあり、とても立ってはいられない状態であった。いつもは、痛痒い程度であるが、今日は確実に痛い。

 なんとか階段を手すりを使い振動を伝えないように慎重に降りた。今日も山へ行く予定にしていたが、足がこんな状態であることと、雨なので断念した。

 それでも、しばらく歩くと緩和してくることが分かった。いつもより1時間も早くセカンドオフィスに向かう。今日は午後からフォレストリーダーの打合せがあるので、その分アーケード内を歩こうと考えていたためである。

 なんせ、登山をすると歩数が減ってしまうので、この分もリカバリーしなければならない。今日は月末で歩数チェック日でもある。

 セカンドオフィスでも居眠りであった。気が付かない内に、常連さんが1名来店され、山の話で盛り上がった。そうして、新聞に出ていたということで、駅前の四角なビルの名前であるが、以前はまると百貨店があったところだと聞けた。マルートの起源が分かって良かった。

 帰宅する時に立ち上がったら、痛みがひどく、数分歩くと治る。

 帰路、八百屋さんに寄ってメロンを買う。この間も買っていったが、評判が良く無くなってしまったので、もう一個買った。

 帰宅後、昼食である。今日はスパゲッティの日である。マーボスパにする。最近覚えたブイヨンを作り、これに調味料を加えてからめるのである。

 ニシンも甘露煮で全て作った。予算の関係で2切れしか食べられない。

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 まあ、いつもの味である。甘露煮はうまくいったね。

 打合せに向かう。一時間ほどで終わる。この後が大変なのである。今日は残業になろうか。

 筋肉痛は翌々日に出るという。今日のは小佐波御前山の分で、明日は高落葉山の分になるのだろうか。まだ、痛みは癒えていない。こんな筋肉痛の一日も珍しい。

 今日は月末で歩数チェックの日である。3月は平均20,270歩/日であった。ぎりぎり達成というところであった。

■「生きている土壌」(エアハルト・ヘニッヒ著、日本有機農業研究会、2022年)を読む。(その1)

「マネー経済の行く末を現下に示したこの滅びは、何よりも本来の農を軽視してきたことから起きた。」

「豊かで肥沃な、生きている土とは、ミミズなどの小動物や目に見えない膨大な数と種類の微生物が生息している土である。」

「肥沃な土一グラムには数億、数千万の微生物がいる。」

「~空中窒素を固定して生物の利用可能なアンモニアにする窒素固定菌もいる。」

「良質の堆肥が良質の作物を育て、家畜の口蹄疫、豚コレラなどを防ぎ、各種の病気治癒力を与えていることは経験的に明らかになっている。」

「植物の根からフィトンチッドが放出され、抗生物質のような作用も与え、自然の免疫性が発揮される。」

「また未熟糞尿を使用すると~病気も起こりやすい。」

「~抗生物質を餌に与えた糞尿などは堆肥にしてはならない。」

「宇宙は計画された秩序なのである。調和のとれた秩序をもつ人間は健康であり、調和の破れた無秩序の状態にある人間は病む。」

「確かなのは、個別の“生物”は朽ちていくことである。」

「腐食は生命からできており、生命によって、生命のためにつくりだされたものだ。」

「死は新しい生命を作りだすための、自然の妙技だ」

「~極めて危険な炭そ菌、パラチフス菌、結核菌などの病原菌が、堆肥化の間に起こる生物間作用により死滅する~」

「自然界で、例えば2.5-5cmの厚さの腐食層ができるのに千年はかかる。」

「動物と人間の病気を治したければ、まず土壌を健康にしなければならない」