家庭菜園

■家庭菜園

 今日は、フォレストの打合せの予定がある。場所は、セカンドオフィスにしたので、ほぼいつもの生活になりそうである。朝は少し早めに6時に出る。開店時刻まであたりをぶらぶらする。こんなところに、鯉のぼりを見つけた。

 思わぬところに銀行があった。やはり、たまに市内を歩くのもいいね。

 打合せを終えて、給料を銀行に入金してから帰路に着く。

 裏庭には、ジャガが咲き出した。もう春本番である。

 昼食であるが、もうローテーションは頭にないので、食べたい物をスーパーで食材を購入してきた。消費期限が今日までの割引シールの貼ってある豆腐一丁だけ買う。30円であった。

 どうせ30分以内に消費するので問題はない。マーボスパゲッティにする。新しい豆板醤の大瓶を開けたので、つい入れすぎてしまう。

 ちょっと食べ過ぎたようだ。ご飯がある場合は、麺を少なくしなければならない。

 少し昼寝をしようとしたら、1時間以上も眠っていた。実は寒さで目が覚めたのである。陽射しがあるが気温は低いようだ。

 車はあるが、歩いて苗を買いに行くことにした。途中、庭木に花が咲いている。調べると、利休梅のようだ。

 そういえば、ハナニラも咲いている。去年名前が分からず調べたことを思い出した。

 苗木の入った箱を抱えて帰宅する。ここ数年やってなかったが、苗木の値段が数倍になっているのではないだろうか。

 スーパーで買った方が安いことは間違いない。旨いわけでもないし、生活防衛になる訳でもない。では、何のためにやるのか?楽しみのためである。

 前にやっていた時に、毎年確実に収穫できるので農家の同僚に自慢がてら話していた時に、「だら、でも育つ」と言われたことを今でも覚えている。

 昼下がりは、コーヒーショップで寛ぐ。

 昼寝を寝すぎたこと、コーヒーショップでも眠っていたことから、疲れが溜まっているのだろうと考えている。しかし、天気がいいともったいないと思うようになっている。

■「素直な心に花が咲く」(池田繁美著、モラロジー研究所、2017年)を読む。(その1)

「一身にして二生を経る。ひとりの人間が、二度目のちがう人生を送ることができる。」

「ものごとがうまくいかない人生と、風に運ばれるかのような人生。」

「私たちが心がけなければならないのは、まず“他を受けいれる”という~」

「何かことが起きたときに“起こるべくして起きた。ありがとうございます”~」

「この“はい”という返事は、漢字の“排”。つまり、“障害物を排除する”というときに使う“排”の字につながります。」

「~他人から言われるままに行動してたいへんなことになったというのは、自分自身をコントロールできなかったのと同じです。」

「思いは、心に影を落とす。だから、心の曇りを取りのぞきなさい」

「“困ったこと”は、きっと自分自身に何かを教えてくれているのです。」

「人間は一生のうち逢うべき人には必ず逢える。」

正法眼蔵 坐禅 自然行」

仏道を学ぶということは、自己を学ぶことである。」

「自己を学ぶということは、自己を忘れることである。」

「自己を忘れるということは、すべてのものごとがしぜんに明らかになることである。」

「自己を忘れる、すると世の中のすべてがはっきりと見えてくる」

「自然が生きる智恵を教えてくれる」

「“自己を忘れる”とは、“素直になること”だったのです。」