歩いたぁ

■歩いたぁ

 今日もいい天気であった。こういう日を無駄にしたくない。今日は、知人のTさんとの散策が予定されていた。今月になって歩数が少なめなので今日のような日にリカバリーしたいものだと思い、待ち合わせ時刻前に公園を歩く。

 黄色い花が咲いている。葉が立っているので、コウホネである。

 八重の桜が満開である。

 ここでマツボックリを拾う。

 知人のTさんにピックアップしていただいて、山へ向かう。

 これは、ニワトコであるが、山菜ではない毒草である。

 知人のTさん、今日はシングルストックである。調子がいいのかね。

 気持ちのいい風を受けて散策を終え、ランチである。これは、五目中華である。

 知人のTさんと別れて、別の公園を歩く。これは、タブノキであるが、こんな姿も見せてくれるであった。

 この公園も八重の桜は満開である。

 一本だけ咲きほこっている。種類が違うのかね。

 今日は大分歩いた。ベンチに座る。♪♪公園のベンチに一人~。飲み物を補給していると気持ちのいい風が吹いてくれ、動きたくなくなった。夕暮れまでここに居ようかね。

 花は、ハナミズキハナズオウ、サクラ、ユキヤナギなどが目立っていた。ブタナはもうすぐであろう。今年は、この公園の近くの川縁に立っているニセアカシアの花を食べることを予定している。

 しばらくすると、ドラミングが聞こえる。コゲラであった。相変わらずすばしっこい。別の鳥も鳴いている。なんとか、スマホで撮らえたが、種類までは分からず。ムシクイの仲間かと最初は思った。

 今日は家人が遅出である。そのため、夕飯も作らなければならない。タケノコご飯は、炊き込みではなく、別に調理して混ぜ込んだ。少し水っぽく失敗である。ワラビは胡麻和えにしたが、こっちも水っぽく失敗であった。まあ、こんなもんだろうね。

 今日は、歩けたね。ぜんちの壁は軽く越えた。しかし、平均ではまだまだである。

■「素直な心に花が咲く」(池田繁美著、モラロジー研究所、2017年)を読む。(その2)

「私たちの生活の中で、カネや地位、便利さや楽しさと引きかえに、手に入らなくなっているものがたくさんあるような気がします。」

「~その声は、自我への執着からはなれて耳を澄ましたときにしか聞こえないのでしょう。」

「~人の心の中はこの“静かな喜び”が満ちているのがほんらいの姿であると思います。」

「人の幸、不幸は、心の素直さによって左右される」

「何も思わない考えない時間」

「一日一生」

「~来る日も来る日も一日七、八時間、独学で勉強していました。」

「~“経済”という語は、“経世済民”、つまり“世の中を経め民を救う”という孔子の言葉から出たと言います。」

「怒ることは、未熟の証明。」

「大それたことではなく、毎日少しずつ努力をかさねること。」

「まごころをつくして人を思いやることが、正しく生きるための真理である」

「自然の法則にしたがうと、ひとりでに正しい生きかたができる。」

「人の考えや行動は性格によって引き起こされる」

「学びの本質は~自己の欠けているところに気づいて、そこを正していくところにあります。」

「徳は本なり、財は末なり」