■久しぶり!
今日は雨は降らない予報であったが、山へは行かないことにした。朝出かける時に家庭菜園を確認したら、3種類のトマトの苗全部に花が咲いている。ナスの花芽が見える。
いつものようにセカンドオフィスに向かう。途中、目に留まった植物を撮りながら歩く。
アカバナユウゲショウが咲いている。
あれと思って立ち止まった。どうみてもノイバラである。ノイバラといえば川沿いに生えている厄介者というイメージであったが、しっかり庭木としても育てられているのだと、誤解を恥じた。
おなじみエゴノキである。この木は、花を一斉に落とすので、下が白い絨毯のようになる。先日、似たような木があったのでエゴノキと考えていたが、花の形が違い、二度目に確認したときに、ナツグミと判明した。こんな山にグミの木があるなんて思いもしなかった。先入観を恥じた。
見たことのない草である。葉の形からセリ科と分かるので直ぐに調べることができた。オルラヤという。間違えなく覚えることは出来ない名前である。
セカンドオフィスで、フォレストの作業を行い店を出た時に、知人のTさんからランチのお誘いが入る。久しぶりである。前のランチから1ケ月近いのではなかろうか。農家は今の時期忙しいね。何を食べるのかを考えるのも面倒なのでチェーン店のラーメンにした。やっぱり自分が作るよりおいしいね。当たり前である。まあ、たまにならいいかな。
知人のTさんと別れてから、近くの里山へ行く。歩数を稼ぐためである。車があるので、街中を歩かなくてもどこでも歩くことができるようになった。
しかし、ヘビがいた。ヤマカガシのようだ。よっ!久しぶりというところか。
年間何人かが亡くなっている。ここで意気消沈である。そうそうに引き上げることにした。
マルバアオダモである。
タケノコが脇芽のように出ていた。
今日は家人は遅出なので夕飯も作らなければならない。昼はラーメンだったので、ご飯ものでも良かったが、美味しい焼き豚が買ってあったのと、カレーの残りがあったので必然的にカレーラーメンになった。付け合せは、メンタイコ、山菜の昆布締め、タケノコのソティーである。ごま油を多めに入れて焼いて、味付けは醤油だけである。これはいけるね。天ぷらは油をとり過ぎるのでこのパターンも増やしたいね。
いい天気も今日までらしい。明日から雨が続くようだ。困るね。
■「なりゆきを生きる」(玄侑宗久著、筑摩書房、2020年)を読む。(その2)
「人は、忘れなくては前に進めない~」
「八十歳以上で亡くなると“天寿”とされ~」
「~緑青に染まった木部だけは腐ってない。」
「樹勢が弱まる理由は、明らかに根が生える土の環境の問題なのだ。」
「一度人間の畑の食べ物を味わった鹿は、必ずまた同じ罪を繰り返すらしく、捕まえると容赦なく刑務所に入れ、一生出さないというのだ。」
「だいたい我々の自然観は、甘いのである。」
「それでも人生にイエスと言う」
「歳々年々人同じからず」
「レジリエンス~外圧による歪をはね返す力」
「~加齢に抗うなんて無駄なことじゃないかとも思う。」
「“寿”の本来の意味は“いのちながし”~」
「~システム化できない個人の働きはいつだって感動的である。」
「~お釈迦様の母親の摩耶夫人が白象の夢を見てブッダを身籠ったとされる。」
「肺炎の菌は健康な人でも口の中に常在している。」
「外国に住む人でも所有できる土地がはたして国土と呼べるか・・・・・~」
「三和土とは“土、石灰、苦汁”の三種類を合せる~」