疲れ気味

■疲れ気味

 なんか朝から疲労を感じる。口ずさむのは、甲斐バンドのHIROである。

 例によって朝から天ぷらを揚げる。しかし、面白いもので足は疲れを感じず、朝日を浴びて規則的に歩ける。まだ、6時を回ったところだ。

 セカンドオフィスについても9割は眠っていた。眠い時は眠るがよろし。

 桑の木を見た。実が赤くなっているところだ。中には熟しているようなのもあった。今年はジャムを精力的に作ろうと考えている。予定しているのは、クワジャム、ナツグミジャム、アキグミジャムである。1年分も作ればいいが、おそらく数回程度だろう。

 よく見る花であるが、調べたことがなかった。ハクチョウゲと出ていた。今の時期、家に咲いている庭が多い。

 これは初見である。どう見てもフジである。紫と白は知っているが黄色は初めてである。キングサリ、又の名はキバナフジであった。

 公園で、トウカエデの花を見た。

 こういう葉に斑点状の毛が付いているのはグミの種類が多い。ナワシログミであった。

 今日は蕎麦の日である。あまり暑くはなかったが、とろろ蕎麦が食べたかったので、帰路長芋を買って来た。

 まずは、昆布締めを切る。これは、昆布でサンドされている山菜を如何にはみ出させないかが重要と考える。そのため、切る前に、包丁を研ぐ。まあ、旨く切れた方だ。

 天ぷらは全部食べ切れないので夕飯まで持たす。スープはワンタンと言いたいところであるが、余ったギョウザの皮である。そこに、山で採ってきた三つ葉を散らした。

 ちょっと多かったか。

 昼食後は、昼寝である。起きたのが15時近かったので疲れていることが実感できた。そのまま、第二部へ向かう。ここで、ケーキセットを食べる。

 夕方近くになって、元気が出て来た。もう一日熟睡すれば元に戻るだろう。

■「飛石を渡れば」(一色さゆり著、淡交社、2021年)を読む。(その1)

「災害や少子化のせいで、家を持たないという選択をとる人が増えているからだ。」

「せっかくお金を稼いでいるんだから、好きなことに有効活用しなきゃ。それこそが、豊かな人生ってやつよ」

「―――好きなことって、気がついたら夢中になっているもの。」

「~正座をしたまま、膝を押すようにして、少しずつ動いてください。~それをにじるといいます。」

「茶道では、四十代まで“青年”といわれます。一人前になれるのは、八十歳になってから。」

「しかし百年や千年といった単位で考えれば、全員が仮初としてここにいるだけで~」

「~趣味の世界でも人間関係というのは厄介だ。」

「~京都で庭を持つ人は、茶道を嗜んでいる場合が多く~」

「人を感動させるお点前が存在すること。」

「~つらいことも嬉しいことも、いずれは流転し、消えてしまうのだ。」

「じつは茶道教室に通うバレリーナって、全国にけっこういるんだよね。」

「どんなに忙しくても、飛石を渡れば、そこには必ず、なにかが待っているから」