■花散歩
今日は医者へ行く日である。前回はセカンドオフィスを10時に出て、10時半に入ったところ、コロナ接種の時間帯と重なったので、叱られた。そのため、今日は9時前にセカンドオフィスを出ることにした。
今日は、血液検査があるので朝食は抜きである。そのため、アイスオーレを頼んだ。牛乳を思ったより多く入れたのには驚いたね。
診察の結果は、あまり良くなかったね。医師は年齢だろうと話したが、どんな理由であれ悪くなっていることに違いはない。そして、体重を落としなさいと、いつもの助言をいただいた。
昼食である。今日はスパゲッティの日であるが、ご飯ものにした。タケノコの炊き込みご飯である。
炊きあがりまで、フォレストの準備作業を行う。
まあ、こんなもんだろうかね。昆布締め2種類が一番おいしかったね。スープは前と同じでギョウサの皮でワンタンを模して入れてある。
昼食後は、昼寝である。洗濯ものを取り入れてから近くの公園に向かう。花散歩がスタートした。
真っ先に、カワラナデシコに出会った。これは嬉しいね。しかし、ナデシコといえば秋の七草である。まだ、夏にもなっていないが、秋の予感を感じた。
遠くの方に、燃えているような木があったので、ゆっくり歩いて向かう。雄花であった。シラカシだろうと見当を付けたが、アラカシかもしれない。
これだけ集まると見ごたえがある。自宅にもクリの木があるが、葉が黒変しており対処が必要であったが、見放すことにした。枯れてもいいという事である。対策費用と利益を比べると、費用が多いためである。
この公園の代名詞といっていいかもしれない。ブタナの群生である。これから、どんどん勢力を伸ばすものと見える。
ある一部に、シロツメクサが咲いている。まとまると迫力があるね。
これはなんだ。緑の花なので、マユミやニシキギだろうと見当を付けていたが、何と花は5片であった。マユミもニシキギも4片である。ツリバナは5片だったがこれは、違うようだ。若葉なので葉の特徴が乏しいが、ツルウメモドキと考えたが、ヒロハかもしれないので、今日のところはツルウメモドキ属とした。もう少し大きくなってきたら改めて調べよう。
確か、チガヤではなかったろうか。詳しくは見ていない。
これは、昔見たような気がした。ヒメオドリコソウの大きくなったのかと考えたが、葉の形が違う。キツネノマゴであった。
真っ白で大きな木が目立っている。ハリエンジュである。
何気なく歩いていたら目を引いた。葉がいちごなので、クサイチゴの成長した形かと考えていたが、あれは白い。そこで、調べると、ナワシロイチゴとあった。
ユリノキに花が咲き出した。別名、チューリップツリーやハンテンボクである。
マツバウンランも花が増えて見ごろになったものだ。
今日もいい風を受けながら歩けて良かった。
■「飛石を渡れば」(一色さゆり著、淡交社、2021年)を読む。(その2)
「庭というのは本来、自然を切り取ったものですから~」
「一番大事なのは、後悔しないことだと思うよ。」
「時間を止めることはできない。」
「振り返ったら智慧が消えるなんて、今の時代に誰が信じるんだろう。」
「日本庭園では、“見立て”によって無限の世界を表現する。」
「おれは暇じゃねぇ、怠けることに打ち込んでるんだ」
「自分の首を絞めることになるとも気がつかずに、技術と知恵でどんどん進化してしまう生き物が人間なのかしら」
「金銭だけが尺度でじゃないという考え方もあるのだろう。」
「一生懸命にやっても結局誰にも必要とされず、すべて無駄になるのではないかという不安~」
「金継~古いもの、壊れたものを愛でるという、この国独自の文化なのだ。」
「人は人の知りえない大きな力に守られてる。」