■吐気
今日は朝から仕事である。少し早めに出て近くの公園を歩く。いつもは、一周回るのであるが、陽射しが強いために、木陰を往復する。
仕事である。しかし、1時間ほどすると吐気が襲って来た。不自然な姿勢を長時間取っているとなるようだ。自分が初めてではないということであった。ここで、強制帰宅になった。いわゆる、合わない体質ということである。まあ、今日で終わりだろうね。
帰宅後時間が中途半端なので、フォレストの準備作業を行う。つまつまと行う。
ふと手を休めて家庭菜園を見ると、ピーマンにも花が咲いた。これで、全部花が咲いたことになる。食卓に上る日も近い。しかし、ピーマンを植えた理由を思い出せない。
昼食である。吐気の症状はほとんどなくなった。今日は、味噌ラーメンにする。
仕事場で食べようと朝作っていった豚の角煮入りおにぎりも昼食べることになった。
もう昆布締めが無くなったので、次回のロットを作ろうと思う。
昼食後は昼寝をしてから、第二部である。出前講座のストーリーを検討する。
歩数が足りてないので、公園を歩く。何か新しい出会いはあるかな。
これは、コウリンタンポポと出た。
太陽が木の間から見える様子である。
これは、ウスベニアオイと出た。
これはナツグミのようだ。もう実を付けている。それなら、例の場所へ行って収穫して来る計画も立てなければならない。ジャムをと思ったが、思ったより種が大きい。
人生、なかなか思い通りにならないものだ。
■「スットン経」(諏訪哲史著、風媒社、2021年)を読む。(その3)
「病気も死も、スポーツの感動の力で乗り越えるそうだ」
「死んでも信念は曲げぬ、といって、社会や法にまんまんと殺されてゆくのが滅菌族的な頑迷さであり、脆弱さです。」
「~老人というものは、コーヒーが好きです。」
「~車を持っていないのでもっぱらレンタカーだ。」
「毎年正月の幾日かは古典を読む。」
「ある種の石灰石や瑪瑙などの原石を断ち割った断面に、まれに奇跡のごとく、風景に似た模様が現れ出ることがある。」
「バエジナ(風景)ストーン」
「確かにこの世は生きるに値しない世界かもしれない。」
「~本当の躁が襲ってきたら、人は自殺してしまう。」
「~投薬で平静を得てしまうと、創作欲やインスピレーションも出てこなくなってしまう~」
「文学とは心へのワクチンだ。」
「小説とは絵画であり、同時に音楽である。」
「今は“褒めて育てる”という慣習が世に幅を利かせすぎて、助言や批評の文化を抑圧し衰退させている。」
「批判力が必要なら、死んだ作家の作品を最低1000冊読めばいい。」
「人生の卒業旅行だと思えば何でもできる。」
「生きることは、いつもさみしい。」