■サンショウ
春の山菜も終盤に入っており、フェーズは木の実に移りつつある。その第一弾として、サンショウを採りにいくことにした。
自分はマーボ麺を作るので、サンショウはあったほうがいい。これを下処理して一回分ごとに小分けして冷凍する予定である。
雨であったが、傘を差せば歩けるので、運動公園を歩く。今日は月末で歩数確認日でもある。
この花はずっとハクチョウソウだと思っていたが、ググると別の名前が多く出てしまう。
これは、ネズミモチである。イボタノキに間違えそうになる。
帰宅後、昼食前にサンショウの実をほぐす。
昼食は、少し寒かったがとろろそばにした。なんと、写真にはとろろとツユが写っていない。
サンショウを下処理した後、小分けし、冷凍する。
少し昼寝をしてから、喫茶店に行く。途中、山王まつりの会場を通る。今年は、境内だけの店である。知らない食べ物の幕がいくつかあった。喫茶店ではいつもの常連さんが集っていた。
帰宅後、家庭菜園に水をやる。ミニトマトのつもりで植えたのであるが、どうみても違う付き方である。
明日は難しい日になる。10時から車検、1日でセカンドオフィスでチャージ、銀行記帳という変数による連立方程式を解かなければならない。天気は晴れそうであるが、代車は要求しないので、いつもの生活に近くなるだろう。
今日は、月末で歩数確認日である。今月は仕事もありあまり歩けてない日が多かった。歩数計の月平均値を確認すると、平均20,398歩/日であった。危ない、危ない、ギリギリであった。
■「百まで生きる覚悟」(春日キスヨ著、光文社新書、2018年)を読む。(その1)
「錆びない鍬でありたい」
「今の高齢者は成り行き任せで、何の備えもしていない」
「この人たちの長寿期に向けての備えは、もっぱら運動に励み、体力をつけ、健康増進することに集中し~」
「経済力と社会関係力はつながっている。」
「長寿であればあるほど、加齢に伴う疾病や虚弱化を免れることは難しい。」
「~今後増大するのが、子世代の支えなしに住宅で暮らす長寿者~」
「~自分のなすべき“課題”を見つけ、選び取り、日課として日々それを成し遂げ、“
現在を肯定“し、”前向きに生きる“長寿者の姿だった。」
「~自分の決めたスケジュール通りに日課としてこなしていく徹底ぶり。」
「~年中、時間通りに動く。」
「受けた恩は若い人に順送りに返せばいい」
「年齢がどうとか、これから先どうなるなんて、全然考えない。」
「早く変わってないと、変わる時期がなくなる」
「~食べることは誰でも自分でできるようにならんといけません。」
「~人とのつながりの中で“必要とされ”“生きる意味を持つ”ことが、生きる“気力”を培い維持する底力となる~」
「~転けることが一番恐いかねえ」
「高齢者の定義については、日本老年医学会が2017年、もともと“この定義には医学的・生物的根拠はありません”として~」
「生きる気力を失うことで、一気に“老化”が進んだものと思われる。」
「元気なうちに、誰かの世話にならざるを得ない時期について構え、考えようとしない高齢者の生き方が、いざ倒れた時の窮地に関わっている」
「~前人未踏の長寿化で“お手本”となる生き方がなく~」