ナツグミ

ナツグミ

 高齢になると朝起きるのが早い。5時前に目が覚めた。直ぐに、アイスオーレを入れ、クラッシク音楽を掛けて、本の抜書きをする。

 朝食後、6時過ぎに家を出る。最近花が少なくなったなあ。

 10分前にセカンドオフィスに到着したので、総曲輪BASEの前にある椅子に座って待つ。前にここでパソコンを広げていた人の確認をしようとWi-Fiを確認すると、富山市のではなく総曲輪BASEのWi-Fiが強かった。

 一番に並んだ。その後、次々と5名が並んだ。いつもの顔である。このうち、自分を含めて3名は注文する前に座席確保に動く。そうして、最後尾に付くのであった。

 事務作業や講座の準備などや溜まっており、パソコンを広げて取り組む。

 そのうち、常連さんが来店され、ナツグミの話で盛り上がった。聞くところによると、自宅の近くに成っている場所があるということで、パソコンで地図を開いて詳しく聞いた。

 昼食の準備のため、10時30分には出る。そうして、ナツグミの場所へ向かう。ところが、木の前に子守のご婦人が立っているではないか。遠慮気味に、採ってもいいかと聞いたら、自分が植えたもので、どんどん持って行って欲しいとのこと。面倒くさいなら枝ごと切ってもいいと言われ、ゆっくりと採取した。

 今年はグミに憑りつかれているのではないだろうか。

 リュックに入れて来たので少し潰れてしまった。これを、充分に洗って種を取ってからジャムにするのであるが、今日はやめておく。フォレストの準備作業を優先しなければならない状況である。

 昼食である。今日はスパゲッティの日である。季節柄ナスを使いたかったので、マーボナスにした。しかし、野菜も高いね。この米ナスも100円もする。昼食予算100円の関係で半分だけ使う。

 まあ、いつもの味である。サンショウのアクセントが効いている。クワジャムは最後になった。明日からは、グミジャムだけになる。

 昼食後、FM放送を聴きながらフォレストの準備作業を行う。その後、第二部である。途中でカッコウが鳴いている。無駄だとは分かっていたが、スマホで撮る。

 ここにきて、心配事が2つ出て来た。一つは、夏の仕事の依頼がまだ来ないことである。毎年、6月の半ばまでには電話が入ったが、まだ来ない。そして、靴底が減ったことである。既に薄くなっており、スリッパ状態になっている。その結果、足裏にかかる負荷が強くなっている。

■「老いる意味」(森村誠一著、中公新書ラクレ、2021年)を読む。(その3)

「人と話をしなくなると、緊張感を保つのは難しい。」

「日本の山だけはなく海外の山にも行った。」

「老いていくというのは、孤独になっていくことである。」

「~病気を発見したりすると、その後の人生で気を付けるから、逆に健康になるという。」

「散歩は“小さな旅”である。」

「易きに流れるのが人間である。」

「自転車に乗るのはボケ防止に効果がある~」

「ぐっすりと眠るためには体力がいる。」

「人間本来が持つサーカディアンリズム(概日リズム)が崩れてしまい~」

「“昼寝”の効用は大きい」

「気が向いた朝は近所の喫茶店に行き~」

「生野菜は胃に良くないため避けている。」

「親が死んでも食休み」

「一回一回の食事を大事にしたい。」

「歳をとってからは安くておいしいものを見つけるのが楽しみになってきた。」

「逆にいえば、贅沢品や嗜好品のない生活は、人間らしい生活とはいえない。」