四校目

■四校目

 今日は朝から忙しい。今日もまた5時前に起きた。まずは、昆布締めを切ることから始める。もうなくなったので、次のロットである。これが、綺麗に切れてないと気分が良くないね。

 まあ、こんなところだろう。続いて、昨日採ったナツグミでジャムを作ることである。種が大きいのと、ほとんど水分なので果肉の部分は少ない。ビンに半分は出来ると考えていたが、思いのほか少なくなった。やはり、ウラゴシが必要かもしれない。

 今日は午前中のフォレスト関連の打合せがある。これで、四校目になる。まだ、2校目の議事録も出来ていないのに、どうなることやら。

 打合せ前に、近くの公園を歩くことにしていた。一周2.1kmである。3周で疲れが出たのでやめる。

 タブノキに実が出来ていた。もうそういう季節なのだ。

 これは、ツタと記憶していたが、ググると違って出てくる。

 ケヤキにも種子が出来ていた。図鑑では知っていたが、実物は初めて見た。

 打合せ会場へ向かう。コロナ前の内容が良かったので、同じモノを希望された。前は、自分が担当ではない。先方も慣れておられて、打合せはスムーズに終わった。

 その足で、購入材料を買いに行く。在庫が無かったので取り寄せになった。

 少し遅くなったが昼食である。今日はラーメンの日である。暑いので、冷やし中華にした。相変わらずのゴマダレである。昨日のナスの半分で天ぷらを揚げた。

 まあ、満足であった。これは、100円を越えているだろうが、150円まではいっていないはずだ。

 昨日と同じで、FMラジオを聴きながらなご成る。30分ほどしてから。フォレストの準備作業を2時間ほど行う。

 続いて第二部である。天気予報は曇りとなっていたが、空には雨雲が迫っているので車で公園に向い。少し歩いていると、にわか雨が降って来た。直ぐに止んだので、通り雨の方が適切だろう。

 第二部でコーヒーを頼んで18時近くまで過ごす。

■「老いる意味」(森村誠一著、中公新書ラクレ、2021年)を読む。(その4)

「大便は身体からの大きな便り」

「住んでいる世界が違う人たちが集まれば、いろいろな話を聞くことができる。」

「~キリギリスのような生き方をしてきた人のほうが無気力状態になりやすい~」

「~現役時代に仕事をいきがいにしていたような人が引退後に張り合いをなくし、気力の低下とともにうつ病認知症を招いてしまう~」

「想定外の事態が起きたとしても“限られた時間の範囲内のこと”に過ぎないのである。」

「生命にとっては毒素となることでも、人生にとっては必要な場合が多い。」

「そしてまた、人生とは毒素が多いほど面白くなるものである。」

「自分で選んだ治療法であれば、自分で責任も持てる。」

「長く生きていれば、なんらかの病気になるのは当然である。」

「~散歩に出るときにはボイスレコーダーデジタルカメラを持っていく。」

「~お洒落には気をつかいたい。」

「外に対する緊張感を失わないこと。それはすなわち武装である。」

「~老齢になっても、やること、学ぶことはいくらでもある。退屈している場合ではないはずだ。」

「人間はいくつになっても、新しいことを始められる。」