■六校目
今日は朝からフォレストの打合せが予定されている。距離は10km以内なので充分徒歩圏内であるが、車を動かさないとバッテリーが上がる可能性があるので、車で向かう。9月の実施なので、後半の一校目である。
近くに公園など歩く場所がないので、いつもの公園で時刻まで歩く。平日にもかかわらず早朝から多くの方が歩いたり走ったりされていた。
打合せは、1時間たっぷりとかかったが、順調に終った。疲れたね。
直ぐに昼食である。今日は蕎麦の日である。無性に、おろしそばが食べたかったのでスーパーでカットダイコンも買ってきた。
朝作った、ドライカレー、冷やっこも加えた。
やはり暑い日にはこれが一番であろう。今日も満足のある昼食であった。
食後は、昼寝である。
やおらおもむろに起き上がってから、フォレストの準備作業を行う。今日も汗びっしょりである。
ひさしぶりに第二部というか、第一部がないので、喫茶店に向かう。歩数が足りないので、大回りして向かった。途中の花も撮る。
これはイワダレソウと出た。
途中の公園である。これはイスノキであるが、以前場所が分からず困ったことがあった。今日は、はっきりと確かめた。
喫茶店では、冷たい飲み物を頼んだ。これはいけるね。アイスクリームが身体を冷やしてくれるのでいい感じだ。
帰りも大回りして帰路に着いたが、歩数が足りないので、途中の公園で2周ほど回って帰宅する。
戻ると、家人がパソコんを貸して欲しいと、さっきまで使用中であった。
■「日本人の宿題」(半藤一利著、NHK出版新書、2022年)を読む。(その1)
「昭和史を知ることは、わたしたち日本人とは何者かを知ることです」
「この“精神力で勝てる”というのは、日露戦争のときに日本軍が得た、本当に戦訓なんですね。」
「アメリカは女の強い国だから~アメリカは戦争なんかそんなにやれる国じゃないと。」
「~仮に正確な情報が入ってきても~ほとんど“こんなのは偽りだ”という程度の判断で、本当に正確な情報を捨ててしまったんですね。」
「~自分たちの得た情報が一番正確で正しいと思っている。」
「~日本人は、長い視野でものを見て、ある一つの方向を決めるということをしないで、短兵急に、明日にでも成果が出るような発想、考え方を、非常の好むところがあります。」
「~人間の“心”というものは四十年も経つと変化してしまう、何か新しいものを求めるようになる。」
「ネット~あれはね、自分にとって大事なものは何か、あるいは、自分にとって大事かどうかということだけが価値観基準なんですよ。」
「人間の生き方の中には、やっぱり、社会とは何かとか、自分の運命を左右するような国家とは何かとか~ネットを見ている人たちは、それがいらないんです。」
「本当に、日本はどういうふうにして生きていこうとしているのかという、そういう世界観がなくなっちゃいましたよね」
「~危険と思われるやつを先に叩くのは正しいということで戦争が始まるわけですね。」
「その覚悟は、昭和史の表面を見て単純に分析して、それで歴史がわかったなどと言ってはならないという意味を含んでいた。」
「“せっかち”にならざる者は弱虫であり、軍人にあるまじきだらしのない者として、弾圧され、逮捕されたことであろう。」
「俺は、これからの世の中、自分の生きている間は、“絶対”という言葉は使わないぞ」
「真偽をその場で断定できるだけに知識がないと駄目なのですね。」
「日本の教育から、歴史と地理と修身を追放せよと。」