出前講座(6)

■出前講座(6)

 今日は午後から出前講座である。そういう日の場合は、午前中はいつもの日常になるはずであった。しかし、めまいがする。いわゆる、ダヤイことをはっきり自覚できた。こういう日は休むに限るが、自分は責任者なのでそういう訳にもいかない。

 そして、今日はゴミ出し日でもある。夫婦二人なので毎回出すゴミも袋に半分以下である。ゴミ袋も高いので、そういう場合は、草むしりを行って草を入れてパンパンにして出す。草むしりをしていると、なんとミョウガがなっていることに気が付いた。

 今年は暑さのせいで遅いのではなかろうか。昨年の記録を見る気もしないが、夏の恒例行事としてミョウガの甘酢漬けが食卓に並んでいたように思う。

 ゴミ出しをしてセカンドオフィスへ向かうが、どうも体調が変である。そこで、最短の店にした。5分程度の歩きである。まあ、歩数管理は止めたのでどうということはない。

 ここで体温を計測する。頭の片隅に、コロナに罹ったのではと考えていたからである。36度ちょうどであった。このまま店に入る。

 ここは電源は使えるがWi-Fiが使えないのでセカンドオフィスに認定していない。いわゆるコーヒーショップである。やや大きめの音量でブラスバンドサウンドのBGMが鳴っている。この音量は、全ての思考を消し去ってくれるようだ。

 時間が来たので、買い物をして帰宅する。今日は蕎麦の日である。暑いので今日も冷やし蕎麦で決めていたが、何を合せようかと悩む。タンパク質摂取で豆腐は欠かせない。今日も39円の豆腐で木綿ごしは売り切れていた。絹ごしにしたので、一丁食べる。蕎麦に合わせたのは、大根おろしである。大根のかつら剥きがやりにくかったので、包丁を砥がなければと思っていたが、食べ終わって忘れている。

 これは、合うね!暑い夏にぴったしである。

 少し昼寝をしてから、出前講座の会場へ向かう。30分ほどかかる。

 今年は、ここで評価が高かった昨年の内容を数か所で使いまわしている。今日も、好評だったようだ。しゃべっている途中で、質問する子がいたり、終わってからの質問もいくつか出た。こういう子供の成長に少しでも寄与しているというのが励みになっている。しかし、終わった途端、強い疲労が襲って来た。これは、まずいと思ったが、顔にはなるべく出さずにいた。

 終了後、少し元気を付けようとかき氷屋さんに寄る。疲れには甘い物という意識があるので、イチゴミルクにした。値段は高くなっていた。

 帰宅後は、トドであった。なごなったら起き上がれない。テレビも消す。エアコンと扇風機の前でうつらうつらしていた。起きたら夕方である。車の中の道具や材料を片付けなければならない。動きが遅い、こんなに重かったかねとダラダラして片付け、なご成る。疲れがピークに達したような一日であった。

 おっと、これから報告書を作成しなければならない。明日できることは今日やるな、という格言通りにしようか、体調と相談しながら決めよう。

■「大人のカタチを語ろう。」(伊集院 静著、集英社、2019年)を読む。(その3)

「昔から金持ちは金の話をしない、が常識だった。」

「ギャンブルとは何か~“数秒先、数分先、数日先に起こるであろうことを予測し、自分が予測したことに賭ける“行為である。」

「つまりトレーニングや確率論は、それだけではギャンブルの必勝法にならないのである。」

「私たちは苦悩してこそ人なのである。」

「ギャンブルは基本的に、二流、三流の人間がうつつを抜かす遊技である。」

「運はいつも不平等だ。」

「一発逆転の話があざやかに聞こえるのは、裏返せば、そういうことがほとんどないからなんだよ。」

「~勝利のロードでいちばん大切なのは、初戦から勝つことなんだよ。」

「麻雀~若い時に打ち方を体得しておけば、歳を取った時にボケ防止にも良いことが証明されている。」

「日本人の大半は、おひとよしで一度教えこまれたものを信じきってしまう。」

「“自分は宗教についてこう考えている”という信念を持つことが大人の男の必須条件だ~」

「良い日々を送れ。それが死んだ者への礼儀だ」

「――人間はいずれ死ぬ。」

「~ただ祈ると安堵が出はじめた」