■後かたずけ
昨日の疲れは、眠ったおかげで少し楽になった。今日は、報告書を作成しなければならない。自宅では集中できないのでセカンドオフィスに向かうことにしていた。
まずは、朝食である。あいにく、マフィンが切れてフランスパンしかない。そこで、いつものハムマフィンは半分にして小さいのを2個作った。ハッシュドポテトはカリカリである。包丁が砥ぎたてで良く切れる。
続いて、洗濯物を取り込む。実は、昨日干すときに、靴下の片方が見当たらなかった。取り込む時に、ユニフォームのマジックテープにくっついていたことが分かった。
パソコンを持ってセカンドオフィスに向かう。今日もホットコーヒーである。
ここで報告書を作成して送信する。これまで、何回となくパソコンを持って入ったが、何回かは、そのまま何もせずに持ち帰りがあった。やはりやる気にならないと出来ないということだ。逆に言えば、やる気があればどこでも出来るということでもある。
昨日のランチのことを思い出していた。ご婦人がスマホ決済をしようと試みているがうまく行かないらしくレジで5分以上モタモタしていた。自分の後にも2人並んだ。結局、現金払いにされた。まったく、スマホ決済という面倒で不便な手段は、世の中から失くなってもらいたいものだ。
帰宅後、昼食を作り食べてから、ガリを作る。売っているのも試したが、皮が付いていないのが気に食わず自作することにしている。昨年も挑戦したが、スライサーではなく包丁で薄切りしたのであまりうまく行かなかった。今年はスライサーである。大きいのを全部使用した。明日からの弁当には必ず入れるつもりである。
少し休んだ後、炎天下フォレストの後かたずけを行う。昨日とその前の分が放置されている。この作業は準備以上に疲れるのである。
アイスオーレを飲みながらのんびりやったが、汗で服が変色してしまった。
まだ、終わらないがここでギブアップする。
暑い日は、かき氷に限る。近くの支店は駐車場が満車であったので、別の支店に向かう。一台分空いていたが、テーブルが空いておらず、外で待つことになった。
今日のような日は出るものではないと思う。歩くなら朝しかない。朝は、風が吹いており日陰は涼しかった。
■「たそがれゆく子さん」(伊藤比呂美著、中央公論新社、2018年)を読む。(その1)
「~ずんずん老いていました。つい先日には六十歳になりまして。」
「今回もなんとか切り抜けてはいく、でも切り抜けたら、そこは死だ。」
「それにしても、死というものは、何度見ても慣れないものだ。」
「~父はずっと独居していた。独居して、娘の来るのを待ちつづけて死んだ。」
「いつもと違うことをして、カフェに行ったり人としゃべったりするのが、面倒くさくてたまらない。」
「~あとは野となれ山となれと言うしね。」
「~準備万端整うことなんてありえないんだから~」
「よけいな治療はしない。死ぬものは死ぬに任せる。」
「自分が戦っているのは“動けなくなった自分”に対してで、“死”ではない。」
「人はなかなか死なない。」
「そもそもどうしてこんな老人をこうしてまで生かす必要があるか。」
「人生、苦だらけだった。」
「至れり尽くせりで、一歩一歩、死へ向かって進んでいく。」
「そして、誰もいなくなった。」