悪夢

■悪夢

 今日も仕事である。もう数日午後勤務となるようだ。そのため、朝はセカンドオフィスに向かう。ここで、来月開催の行事の書類やら出前講座の資料作りやらを行う。

 昨日の報道機関の様子を確認したが、ニュースでは流れなかったようだ。しかし、地元のK新聞の動画では、自分がドアップで流れているではないか。まあ、ここを見る人は殆んどいないので、良しとしよう。

 早めに職場へ向かい日陰になる場所に駐車し、窓を全開にする。涼しい風が、切れ目なく吹いてくれる。今日は、車内で自分で作った弁当を食べるが、旨いと思っている。

 今朝は、炊き立てのご飯をおにぎり2個分ボールに取り、まずは冷ますことから始まった。その後、おにぎりの素のようなふりかけを入れて混ぜる。具は、いろいろ取り揃えているが、今日は蜂蜜梅干しとシイタケ海苔の佃煮にした。鮭フレークも常備してある。

 ガリは、2日たったのか格段と旨くなっている。自分ではこの程度で満足である。

 昼寝を決め込むが、カラスがうるさい。ハシボソガラスのようだ。人の昼寝を邪魔することのみを目的に鳴いているようにしか思えなかった。

 職場では、誰々が写っていたとか、後ろ姿だけで良かったなど、ニュース映像の話で持ちきりであった。

 配置表を見て驚いた。昨日は投入工程だったので、今日もそうかなと考えていたが、なんと販売部の場所に名前が貼ってある。これは、聞かなくても分かる、駐車場の整理である。ここで、昨年の悪夢が蘇る。満車の看板は無視、ロープは引きちぎり、空いて無いのを自分たちの責任とののしり、と胸糞が悪い思い出ばかりである。

 しかし、昨年と違うのは、1名減員になったことである。そのため、自分が担当していた入り口でのロープ管理はできなくなった。その結果、どんどん入ってくるが、停められないので、立ち往生する。直ぐに後ろからクラクションが鳴らされ、出ていく。

 まあ、こういう対応でいいのである。しかし、今回も強者がいた。もう終わりかけのころ、責任者から売り切れと言って中に入れるなと指示が来た。その通りしたが、高級車の主は、ちょっと車を止めたいだけといい入って行った。そして、しっかり順番に並んだのである。そういえば、昨年もこういう輩がいたなあ、同じ人かもしれない。

 作業服は汗でしっかり変色した。

■「たそがれゆく子さん」(伊藤比呂美著、中央公論新社、2018年)を読む。(その3)「他にすることがないから散歩に行くのだ。」

「逃げろ、後ろを振り向くな」

「植物にとっては“死ぬ”は“生きる”で、“生きる”は“生きつづける”だ。」

「~服従させるというのが犬とのつきあいの本質だから~」

「ケーゲル体操」

「今、あたしは歩いている。むちゃくちゃ歩いている。」

「確実に運動能力が落ちているのだ。」

「あたしはつねにものを探している。」

「老いていくのは、なんて寂しいんだろうと思った。」

「人生は、いくつかの基本をおさえたら、後はその応用でOKなんじゃないか~」

「がさつぐうたらずぼら」

「自分の意志とか意識とか、大したことない~」

「ひきずって生きるのも縁ですよ」

「本はろくに読まないが、よくものを考える。」