読書の秋

■読書の秋

 今日は仕事が休みである。なんか、久しぶりのような気がする。稼働日カレンダーではこれまでも休日はあったが、荷卸しだけ稼働させるということで休日出勤してきた。

 休日であっても、起床したのは4時55分であった。今日の天候は雨なので、出歩くことはしないで。本を読もうと決めた。仕事をやり出してから、読書の量がだいぶ減っている。今後の残り少ない時間を充実して過ごしたいものだ。というと、仕事などしている場合かとなるが、環境が変わり支出が当初の計画より増えるので仕事はやることにした。

 仕事の効果はてきめんに出ている。お腹周りの脂肪が落ちた。それよりも、腕の筋肉が付いたようだし、握力も少し戻ったようだ。これは、仕事が終わった後に測定しようと思う。

 この世の中、何が起こるか分かったものではない。そういう時の備えとして、いろいろ取りダタされている。損害保険も間違ってはいないと思うし、レスキューリュックも正しいと考えているが、世間であまりいわれて無いが、一番重要だと思うのは、筋力ではないだろうか。体力というと範囲が広いので散漫になってしまうが、筋力というと分かりやすいのであるまいか。それでは、どの程度必要だろうかと自問すると、足の筋肉つまり脚力は、山道を10時間以上歩ける程度は必要だろうと思い、腕の力は最低でも自分を支える程度は必要ではないだろうか。

 何かで読んだが、最近ペットボトルのキャップを開けられない人が多く存在するという。思い出せば、瓶の蓋を取って欲しいと見知らぬ方から頼まれたこともある。昔は唖然としていたが、自分も先ごろまでお菓子の袋を開けられなかったので、他人ごとではない。この程度の筋力では、自分を守れないばかりか、大切な人も守れないのではないだろうか。

 「非力の菩薩、人を救わんとして自ら溺る」という言葉もある。

 問題は筋力を付ける方法であるが、スポーツジムでお金を払って付けるか、自分のようにお金をもらってつけるかであろう。どちらも、いい面と悪い面がある。

 今朝は、いつも通りの朝食を作った後に、車でマックドへ向かう。ゆっくりと本を読むため、400ページ以上の本を持参した。一息入れた時に分かったが、今の店の、道路を挟んだ向かいのホームセンターの敷地内にも新しい店が来月開店するという。

 ゆくゆくは一つにするのであろうか。自分には、好都合である。

 昼前まで過ごしてから、床屋へ行き、買い物をして帰宅する。

 久し振りに昼飯を100円以内で作ることにした。マーボスパにするが、家庭菜園にナスが成っているので、それも調理して、マーボ豆腐ナススパゲッティにした。スープはソーセージと野菜、モモと梨も付けた。豆腐の残りは冷やっこである。野菜不足なのでサラダも買ってきた。予算は遥かにオーバーした。そして、だいぶ多かったね。

 概算で、サラダで100円、豆腐で30円、スパゲッティ20円、スープ20円となんやらかんやらで200円近くかかってしまった。スパゲッティの味は作るたびに旨くなっている。今回も中華スープと砂糖を入れた。

 早い昼食になった。だいぶなご成った。さあ、歩いて図書館へ行こうと玄関を出たが、マスクを忘れたことに気が付いて戻ると、雨が降り出しそうであった。そこで、図書館は止めにして、喫茶店にした。いつもの店である。

 ゆっくりとした午後になった。

■「二千億の果実」(宮内勝典著、河出書房新社、2021年)を読む。

「その“アーメン”という言葉だって、ほんとはヘブライ語なんだ。」

「クローン羊のドリーは六歳のころ、安楽死させられましたね」

「ゲリラ兵士たちが、まず何に飛びつくか。~缶に密封されている家族からの手紙でした。」

「~人間というやつは醜く、汚く、おぞましいばかりじゃないか。」

「夭折した者こそ永遠の若さという特権を得るのだろう。」

「夢は去った。疲れきって、失意のなかで静かに敗北を受けいれたのかも知れない。人が老いていくように。」

「新しいボス猿が群れを乗っ取ると、子殺しをやる。前のボスの子を皆殺しにする。」

「好奇心というのは知能そのものです。」

「わたしたちは同種、同胞を殺しあう生きものです。」

「60歳を超えたが50代の時より調子がいい」