敬老の湯

■敬老の湯

 今日は仕事は休みである。仕事前の生活に戻るのかと考えながら昨晩うつらうつらしていたが、起きてから現実が襲う。今日の予定は、10時から温泉に行くことである。

9月は敬老の日があり、その関連だと思われるが、高齢者の入浴料金が半額になる。

2時間はゆっくり入って来たいと考えていたが、その時刻までは、フォレスト関連の出前講座の資料を作製しなければならない。朝一でファミレスへ行き、モーニングを頼んでから講座資料の作成に入る。

 なかなか進まないね。これは自宅でもやらなければ間に合わない。

 温泉に向かう。途中でカモシカに出会った。

 食害の瞬間である。

 温泉の前には2分前に着いたが、何人も待っていた。時間になると車の中からぞろぞろと出てこられた。

 時間を気にしないでゆっくりと入る。露天風呂では雨が降ってきたので、備え付けのスゲ傘をかぶって浸かる。ああ、いいねえ~。

 いつもは入らないサウナや水風呂も入り、リフレッシュできたようだ。

 帰宅途中で寄り道をする。アキグミの状態を確認しに公園へ寄る。

 だいぶ大きくなっていたが、まだ色付いていない。

 帰宅後、昼食である。昨日のカレーが残っていたので、この場合はカレーラーメンに決めている。カレーの肉は牛肉である。きちんと、ラーメン用のスープを作ってから残ったカレーを投入する。そこへ、ラーメンを入れて煮込む。

 冷やっこは、容器から外れないので無理して出したら崩れてしまった。

 味はいつもの通りで比較的安定した味になった。

 一服していると、小学校へ打ち合わせに行く可能性が出て来た。小学校が15時半過ぎでないと連絡が取れないので、それまで、昼寝である。小学校は会議があるというので次回になった。

 そこで、喫茶店に向かう。小腹が空いていたので、ケーキセットにした。

 ここはお落ち付くね。今日は、常連さんは帰られた後であった。

 まあ、振り返れば、いい一日であった。

■「ただいまを生きる“禅の生き方”」(水上 勉著、アーツアンドクラフツ、2022年)を読む。(その2)

「~現代の人間は三Kを嫌うあまりにどこか略して生活しているというところがあるから~」

「人の希望は初め漠然として大きく後漸く小さく確実になるならひなり。」

「一日多い時は三十錠は呑んでいるから~」

「~薬の厄介になる毎日がつづけば、頭も多少は変になって当然だろう。」

「なんでも一年に六兆円の薬を日本人は呑むそうだ。」

「軀は生きているけれど、心は死んでいた。」

「効くか効かぬか分からぬ新薬を冒険的に患者に呑ますことで、病院は収入増をはかることもある。」

「~病気にならないようにしろよ。なっちまったらまけだからな」

「医者は病気に降りてくれるが人間には降りてくれない。」

「~現代の病院経営は、薬品メーカーの出店であることで収入をあげる実状~」

「病院は死ぬところ」

「~とにかく歩くこと」

「くすりの洪水と人体実験にあっているような恐怖もこの時襲った。」

「“気”がうごけば、自ずから手も振れている。」

「人間は、生まれたために、死なねばならぬ。」

「生来貧になれて貧も貧ならず」

「~前に死ぬべきものが前に死に、順次に死んでゆくことほどめでたいことはない。」

「禅の機をつかむ一瞬は、何でもない些事にも生じる。」

「~自から世を捨てることに努めた。」