混乱

■混乱

 今日も仕事である。朝はいつものように職場へ向かう。空を見ると、うろこ雲が出ている。♪♪今は もう秋~である。

 駐車場で窓を開けていたら、肌寒く感じた。まあ、我慢できない温度でもない。15分前になったので事務所へ行こうとしたが、いつも来ている大学生の車が無い。少し変だと思いながら入ると、数人がたむろしており、今日から9時始まりになったという。面白いことに、自分も含めて誰も聞いていないということであった。

 30分ほどして大学生が出勤してきたが、彼らは人事部より聞かされていたという。朝の貴重な時間が無駄になってしまった。

 配置板で自分の持ち場を確認したら、案の定、封函工程であった。まあ、昨日は直したと考えていたが、品物が斜めに止まってしまったので、やむを得ないだろう。

 このため、筋トレのために荷卸しは1時間だけで、その後は突っ立っているだけの仕事になった。いや、なるはずであった。

 事件は直ぐに発生した。封函工程というのは、文字通りダンボールを自動で糊付けして封をする工程である。専用の自動機がラインごとにある。ところが、品物が大きいので蓋が閉まらない、後から開く、機械の途中で止まるということが頻繁に発生した。機械の途中で止まると、後の品物は異常な動きになり、箱が破裂して中身が散乱してしまう。自分は後ろの工程にいたが、3人ほどであたふたしているのが見えた。その後、そっちはいいから、手で押してくれ!という指示があり、指で箱を押す作業に変わった。

 そのうちに、原因は分からないが、ITFコードの貼られたシールの位置がずれてしまい、10箱以上が流せない状態になる。その場合は、ラインから取り出すのであるが、既に置く場所もない。ラインを止めて対処である。

 蓋が閉まらずに戻ってきたものは、詰め替えをしながら、やや無理に詰める。しかし、中に1箱だけであるが、何回やり直しても戻ってくる箱があった。この原因は、ラベルと中身が違うためであった。

 もう、混乱の極致であった。自分も含めて手の空いている人5名ほどで対応する。自分は、エアホッチキスで締めた製品をラインに投入する役になった。これでも10kgある。それを何十箱と運ぶのである。

 並び替えの時に商品落下させるケースが相次いだ。これでは、箱売り出来ないので、店頭販売になった。原因は、商品が大きすぎるのである。箱の大きさは変わらないのであるから、規格がある筈である。通常規格を外れたのは規格外として廃棄されるが、確かに忍びないという気持ちは分からないでもない。今年は、規格を無制限にした人たちがいたようだ。

 おかげで、汗をかいたね。最後の工程というのは、その前工程の全てを受けいれなければならず大変である。もう担当を変えて欲しいと考えていたが、どうやら人事部の方針では自分がセミ専属にするような気配も感じる。まあ、年齢的にはそうかもしれないが・・・。

 それでも、16時前には終わった。その後、医者へ行く。ひどく空いている。これから夕方行った方が待たなくて良さそうだ。次回の予約も夕方にした。

■「死という最後の未来」(石原慎太郎曽野綾子著、幻冬舎、2020年)を読む。(その1)

「老いてこその生き甲斐を積極的に求め、自ら作り出すことこそが晩節を彩る術だと改めて思います。」

「寝ているだけじゃだめになっていくぞ、という危機感に追い立てられた。」

「シェーグレン症候群~治りません、薬もありません、でもすぐには死にませんという素晴らしい病気ですよ。」

「老衰は死に向かっての生育だ」

「死ぬことは“虚無”なんですよね。」

「死を遠ざけてしまって、あたかも訪れないものとして扱ってきた。」

「~濃密でこそ人生だと思って生きてきたから。」

「泥に埋まって、沈んでいくようだ」

「人は日常の中で、ただ死んでいくという感覚です。」

「男がね、武器を持って歩かないというのは、海外の国々ではむしろ異常なことなんですよ。」

「神経が消耗して、疲れ果てて発症する。」

「病気を贈られた」

「謀反だか反乱だかみたいなものは、だいたい食事への不満から始まりますからね。」

「無機質な人間ばかり増えてきて、発想力も表現力もなくなった。」

「天国と地獄の中間に“煉獄”というところがあって。」