■忙しい
今日も仕事である。今日はアラーム音で起床した。
朝食は、フランスパンにソーセージとチーズを挟んで食べる。この後は、お昼のおにぎりを作るのであるが今日は作らなくても良かった。昨晩、炊き込みご飯にしたためである。出来あいのタレや具があるので、料理とも言えない。自分がやったことは、栗の皮を剥いたことと、油揚げを切って入れただけである。栗は、栗ご飯にするには少なかったので、炊き込みご飯に混ぜた。
職場の駐車場では終始風が入って来て気持ちが良かったね。シートをいつもより起こすと眠気が少なくなることが分かった。
時間になったので、事務所へ向かう。今日から一般ラインの稼働は13時スタートになった。朝から出社するのは、荷卸しチームだけである。
9時からスタートしたが、皆異変を感じていた。量が多いのである。人事部の計画では、量が少ないと考え、ラインの稼働は2本づつだけにしている。当然ながら作業員も呼んでいない。
12時に終了したが、恐ろしい量になった。これは、10時からスタートしてもよさそうな量である。
昼は1時間に減って、13時から午後の部が始まる。自分は、決まっており箱の組み立てである。これで、汗びっしょり。困ったのは、何々が無いと、資材の不足を自分にぶつけられる。4回もあった。場所が分かる資材は、作業を中断して取りに行く、場所が分からない資材は、事務所へ伝えに行く。そうすると、箱の組み立てが間に合わなくなり、一心不乱に作業をする。
やっと終わりが見えてきたところで、人事部長がやって来て、この後、投入作業をやって欲しいということであった。全ライン稼働させたようだ。しかし、作業者はどうするのだろうと見ていると、人事部の人が入っているではないか。そりゃそうだ!
忙しかったね、終わったのが16時過ぎであった。今回の敗因は見込み違いということであろう。まあ、来てみないと分からないのが悩ましい。作業者を手配して少ない場合は、30分で終わってしまうということが発生する。難しい判断であろう。
■「常識のない喫茶店」(僕のマリ著、柏書房、2021年)を読む。
「働いている人が嫌な気持ちになる人はお客様ではない」
「店員をストレスの捌け口のように扱っている人たちが、残念ながらいる。なめられてるんだな、と悲しく思う。」
「わたしが働いている喫茶店では“お客さんと喧嘩してもいい”というルールがあるのだ~」
「~明らかに全く歓迎されていないのにほぼ毎日店に通う猛者。」
「仕事中のおしゃべりは自由」
「“消耗”させられている~」
「~一番ありがたいと感じるお客さんは、何よりも“店員に興味がない人”である。」
「目に見えないものと闘うという恐怖は、少なくとも自分の人生のなかで経験したことがない。」
「ありふれた日常がありがたいこともある。」
「インスタ蠅」
「SNSは配慮を持って使いましょう。」
「自分の世界を誰かに見てほしいという欲求は、ごく自然なものだろう。」
「~時間は有限だから大事に使いたい。」
「残念ながら、飲食店で偉そうにすることで自尊心を満たす人は多い。」
「店をやっている人老けない説」
「この世の中は狂っている。悔しいがそれが事実だ。」
「毎日が事件の連続である。」
「~コーヒー一杯でジロジロ見られてたまるかよというのが店員の本音である。」
「喫茶店で好かれている人は、きっとどこのお店でも大事にされていると思う。」
「ゆるやかに病んでいるのにも気づかないまま、働き続ける。」
「~自分は病気持ちの無職であるという事実しか残らない。」