■痩せたんじゃ
理由はテレビであるが、幾分寝不足である。今朝もアラームで起きた。そして、そのまま過ごし、ハッと気が付いたら10分ほど進んでいた。
マフィンを買うことが出来たので、文字通りソーセージマフィンが出来上がった。まあ、食べられるだけヨシとしよう。
お昼のおにぎりはいつもいなりおにぎりであるが。今日は、ご飯の中にシャケフレークを大量に入れて握った。しかし、なかなかまとまらず苦労していなりの中に入れた。
少し遅れただけであるが、コーヒーを買ってからの旧国道はなかなか横断できない。
今日は雨である。職場の駐車場に着いて、雨が入らない範囲でウインドウを開ける。それでも、結構冷たい風は充分に入って来た。車の中でも居眠りであった。
荷卸しは、大学生が来なくなり、今日は7人に減った。入荷は多い方であった。しかし、作業服が変色するほどの汗は出なかった。お茶も、1リットルで充分である。
午後からは、投入作業であった。最初は1ラインを止めていたが、量が多いので全ライン稼働させた。そう都合よく、作業者は集まらないはずだと、その構成メンバーを見ていたら、間接人員や見たことのない人が入っていた。
その時、作業されている方から、痩せたんじゃない?と言われた。わが辞書に、痩せるという言葉は無いかもしれないと開き直っていたが、他人が見ても分かるほどになったようだ。実は、温泉の体重計で下がったことは認識していた。
そういえば、最近身体は軽い。今日も、帰宅後、木に登って柿をもいだ。
気になっているものに、昨日から塩出ししている、自家製メンマがある。もういいだろうと、全部調理した。ごま油に醤油を入れた時の香ばしい匂いがたまらないね。
このメンマはおやつになった。塩は抜けて、目を瞑って食べればメンマと応えるだろうというレベルになった。これで、試作は終了である。来年は、樽一杯作り、少しづつ脱塩しながら食べて行こうと考えている。
■「捨てることから始まる」(瀬戸内寂聴著、祥伝社、2022年)を読む。(その1)
「髪というのは、何百年たっても、その当時のままの姿で生きつづけるものだ~」
「これこそが世紀末の現象である。」
「人間はどんな残酷なことでも出来、どのようなすばらしい文明もたちまち破壊され尽くされる~」
「本来小説というものは反体制的、反道徳的な面を持つもので~」
「お上の賞をいただくのをいさぎよしとしないとでも思われていたらしい。」
「かつて折口信夫が、“若菜”を読まなければ、“源氏”を読んだことにならない~」
「~私は教団の言う地獄に落ちたって結構だと思っている。」
「この世はどうせ三界家宅の無常の世界なのだ。」
「~“この国の前途を憂いながら”自分も死ぬのかなあと暗い気持ちになる。」
「平安時代から、嵯峨は庶民の死体捨場であり~」
「宗教とは人を幸福にし、精神を自由にするもので、人に不安を与えたり、まして恐迫観念を与えたりしてはまずいと思う。」
「そんな中へ一度入信しながら、落着かなくなる人々は、心根がおだやかで、闘争心や競争心がない人々なのである。」
「どんなことでも熱心に打ち込んでいたものから離れると、人は誰でも、大きな虚脱感に見舞われる。」
「法に依って生きよ、他のものに頼るな」
「土下座するような見識の低い人に誰が政治を頼めるものか。」
「欲望すなわち煩悩を捨離し去った後に、寂静の境地に達するという、それが悟りなので~」