アラカルト

■アラカルト

 今日の予定表を確認したら、給料をもらいに行くとなっている。職場へ行くのも今シーズン最後になった。最初の予定ではバスで行ってから銀行という予定であった。しかし、雨である。

 朝起きたのはいつもの時刻になった。湯船にお湯を張り朝風呂を楽しむ。今の時期温度を少し高めにした。入っていると夜が明けてくるのがわかる。この瞬間が好きである。

 風呂から上がったら洗濯をする。その後に朝食を作るのであるが、また、マフィンが無い。今回も買い忘れである。最近、このようなポカが増えているように思う。

 仕方がないので、車でモーニングを食べに出て、その後に職場に行くことにした。朝は、パンが多いが今日は納豆定食にした。目玉焼きも付いていたので、慎重に黄身だけをご飯に入れて、卵掛けご飯にもする。

 職場へ行くと、来年もお願いしますという社交辞令とともに、山菜の水煮をいただいた。昨年は何もなかったが、受け取るのを少し躊躇していると、暑い中、一生懸命だったからという。

 車なので帰りに銀行へは寄れないので帰宅する。

 昼食の前にやることがある。親戚から、ダイコンとカブが届いたので、かぶら寿司を作ることにした。今、ダイコンとサバは本漬け中なので、下漬けの樽は空いている。

 教科書的にはかぶら寿司に使うカブはおおかぶであるが、自前で食べるのでどんなカブでもいい。

 形が不格好なのが原因なのか、皮を剥いていると途中で切れてしまった。

 葉の部分は、茹でてから塩を入れて浅漬けにする積りである。

 時間はたっぷりあるので、ゆっくりと昼食の準備をする。スーパーで豆腐だけ買ってきた。今日はスパゲッティなので、マーボナスにする。ナスは、小さくほとんど痛んでいる。これも親戚から頂いたものである。いいとこ取りをすべく、せっせと切る。最近は、フライパンで焼くことが多いが、今回は素揚げにした。

 ネギも頂いて来た。これも緑の部分は捨てられるので、自分はこの部分だけ使うことにした。

 スパゲッティには、キャベツを煮込んだ煮汁を使う。もちろん、残りはスープになる。なんやかんやで、にぎわってきたね。こういう昼食がいいのである。

 スパゲッティの中に入れた、粒サンショウのアクセントがいい。

 昼食を食べ終わると12時を過ぎている。今週のNHK-FMはいい歌が入るので、昼寝をしながらスマホで聞く。その歌が流行っていたころの自分を少し感じていた。あの頃は、夢も希望もあったのである。まさか、中年になってお腹が出るなんて露ほども思っていなかった。

 午後から雨は降らない予報なので、銀行へは歩いて行くことにした。必然的に、この店でコーヒーを飲んでくつろぐことになった。

 今朝から、天気予報では皆既月食を報じてる。まあ、話題なので撮っておこう。

 いろいろをあったが、単なる日常であった。

■「老いのゆくえ」(黒井千次著、中公新書、2019年)を読む。

「年寄りは、転ぶ危険とともに、立ち上がれなくなることへの心配も抱えているのだ~」

「~新しい不自由の誕生が見られる。」

「未整理のものの持主は、おそらく自分自身が未整理のままなのだからーーー。」

「前にはなんでもなく出来たことが難しくなっている。それに気づかぬのが恐ろしい。」

「~自分に残された歳月の中で、果してそれ等の本や資料などに目を通すことがあるのだろうか。」

「~その時こちらはもうこの世にいないだろうけどね~」

「~老いはいつも忍び足でやって来て身体のどこかに潜り込み~」

「~薬を飲んで一日が始まる。」

「~常に先のこと、何年かの未来を手にいれることを目指して出かけて来た。」

「~いわば独学・自習によって得た知識は、教えられたものよりはるかに深く身に刻まれているように思われる。」

「~流れの中に揺れる水草のようなこの動きは、老いそのものの歩行である。」

「老いは放置しても自然に成長する。」

「~八十歳を過ぎて転ぶと、以後一年以内に必ずもう一度転ぶ。」

「耳が遠くなるのと、眼が見えにくくなるのと、どちらが辛いだろう。」

「~一年に三ミリほどずつ身長は減っていく。」

「俺には未来が切られて、その先が無いんだよ~」

「人間は、自然にまかせればすぐ眠る動物である。」

「老いることは知ることに通ずる。」

「~純粋の物忘れは日常的に発生し続ける。」

「年寄りは多忙であるーーーー。」

「老人は本質的に忙しいのだ。」