下見

■下見

 今日はいい天気予報である。しかし、家族の送り迎えになった。朝、家人を職場に送ってから、公園で木の実を採る。その後、セカンドオフィスで少しくつろぐ。

 今日は、昼に道具を引き取りに公民館まで行かなければならず、昼はゆっくりもしておられない。昼食は簡単にしたが、何かアクセントを付けたいと考えていた。

 昨日の寺子屋で小学校の先生からフジの種を質問され、食べられると応えてしまった。実は、自分は食べたことはない。そこで、先日知人宅で採らせていただいた、フジの種を調理することにした。

 しかし、これが硬い。まだ、木に成っていたためかどうか分からないが、包丁も入らず、折ることも出来なかったので断念した。そこで、昨年採ったので試すことにした。

 形はぺチャンコで歪である。

 これを、フライパンで炒る。皮が剥けそうになるので、剥く。

 一個だけ食べて見た。なるほど、カリカリで食べることは出来たが、しばらくすると苦くなって来た。ここで、自分の感性はNG判定した。そのため、昼食に登場することなく廃棄となった。今年の種が採れたら再挑戦することにする。

 あまり時間がなかったので、レトルトのスペゲッティソースにした。ただし、賞味期限が2021年になっている。まあ、お腹は壊さなかったね。

 スープは久しぶりに水餃子復活である。懐かしい味であった。やはり、旨いね。

 予定であれば、ここにかぶら寿司が付く予定であったが、既にない。2日しか持たない。その上、家人より次のはいつ食べられるかとの催促である。まだ、一週間ほどもかかるので、もう一セット準備しようか検討中である。まあ、明日、日曜大工で押し板を作れば済む。今年は、2ロット体制で行こうか。

 道具を受け取ってしまいこんでから、下見に行くことにした。門松用の竹である。4人で作業をする予定なので、下見をしておかないとリードが出来ない。

 山はいい雰囲気であった。落葉を踏みしめながら歩く。

 やはり場所は直ぐに分からなかった。下見で正解であった。やっと、その場所に到着できた。だいぶ山歩きになったね。

 帰宅後、洗濯物を取り入れ、夕飯の準備をしてからセカンドオフィスに向かう。夕方であるが、このままでは無為な一日になると少し無理をした。途中で歩数を確認するととうに一万歩は越えている。今日も歩きすぎである。先ごろ、歩きすぎて寿命が短くなった人の本を読んだ。健康のために歩き過ぎには注意したい。

■「食王」(楡 周平著、祥伝社、2020年)を読む。(その3)

「~自分の将来に貪欲であるのは、まだ人生に残された時間が十分にあるうちのことだ。」

「要は、とことん利益を追求する貪欲さに欠けているのだ。」

「死んだ人間のことなんか、二の次でいいんですよ」

「しかし、いつまで続くかが誰にも分らないのが流行りというものだ。」

「どこまで非情になれるのか、それこそがカネ貸しに求められる資質なのだと・・・・」

「~三代目は家業を潰すといわれるように~」

「~雀百まで踊り忘れず~」

「最悪なのは、問題点に気がつかず、事をはじめてしまうことにあるんじゃないかな」

「成功が約束された商売なんて、ありゃしないよ」

「~人の温情に触れた人間は、心を入れ替え、いままで以上に働きをせんと奮起するものだ。」

「夢は叶えなければ意味がない。」

「だから、ノーベル賞だって基礎研究者と実用化を実現した研究者や技術者が、同時に授賞するんだよ」

「~これから日本を支えていくのは、観光と第一次産業しかないだろうと考えていてね。」

少子化のそもそもの原因は、地方の若者が、大都市で職を求めるってことにありますからね。」

「~成長を続けていくためには、成果を挙げた人間が報いられる会社にしなければならない~」

「情けは人のためだけでなく、いずれ巡り巡って自分に返ってくる・・・・・・。」