腹痛

■腹痛

 昨晩、異変を感じていた。足元のファンヒーターは3時間で消える。その後の寒さで目が覚めてお腹の異変を感じた。この時は、なんとなく変だなあという程度である。

 もう一度眠って、朝方ははっきりと腹痛として認識した。

 はて、何が原因だろうというのが、真っ先に頭に浮かんだ。昼までは大丈夫だったので、夕飯後ということである。特に変なものは口にしていないはずであった。

 家人曰く、お菓子の食べすぎという。まあ、心当たりのないこともない。しかし、食べ過ぎの痛みとは違うような気がする。

 この歳まで生きて来て、こういう場合の対処は心得ているつもりであった。とにかく、吐くのである。トイレに行き、無理に吐こうとしたが、胃液しか出ない。続いて、胃薬である。いつ買ったかも忘れた漢方の丸薬を飲む。いつもは、1粒であるが、症状がひどいので2粒含んだ。そうして、布団に入って休む。

 夜が明けて家人が出かける時間になっても改善しない。指先は冷たくなっている。これは、ストレスの第一段階である。別の胃薬を飲む。こっちも2錠含む。

 ひたすらなご成る。テレビの音も耳障りで消す。なご成っているが、眠っているわけではない。

 いろいろ考える。これは、体のサインではなかろうか。記憶をたどれば、一日中ダラのように眠った日は思い出せない。自覚はないが、体が悲鳴をあげており、もっとも弱い場所で炎症を起こしているのだと考える。そうすると、今日の予定は全てキャンセルしよう。といっても、別に約束しているものはない。

 1日なので、いろいろとやりたいことがあった。

 昼近くになると、少し改善の兆候が見えた。指先も暖かくなった。ここで、無理しては元もないので、とりあえず昼食を食べることにする。朝食は食べることが出来なかったので、今日初めての食事である。

 そのころ、12時30分からのFM放送をチェックしたら、最高の音楽が掛かることが分かり、イヤホンを付けて食事の準備をする。準備といってもトーストとスープだけである。トーストには自家製のグミジャムを塗った。

 音楽を聞いていると、その歌が掛かっていたころのことをいろいろ思い出すね。

 フォークもいいがポップスもいい。もう亡くなられた歌手の方の歌も聞けた。

 時間までゆっくりと寝ころびながら聞いたら、何か元気が出て来た。腹痛は完治ではないが、さほど気にならなくなった。

 そこで、止めときゃ良かったが、実家の片づけを行う。1時間もやらない内に根を揚げたね。そして思い出した、今日は午後から温泉へ行くことにしていたのである。無料券が3枚ある。しかし、この状態では難しいと考え、自宅で風呂を沸かす。

 まだ、日は高いがどうする? セカンドオフィスへ向かい中食を摂る。飲み物はオレンジジュースにした。でも、そんなに居れなかったね。雨が降って来たので干し芋の場所を変えなければならない。

 今の調子では明日までには治るだろうと考えているが、念のため夕飯後は胃薬を服用することにしている。

■「断片的回顧録」(燃え殻著、アタシ社、2021年)を読む。(その1)

「何事にも気づくのが遅すぎる。まともになるには寿命が足りない。」

「水の良いところのサウナは良いよ。」

「~夢や希望がなくても人は死なない。~寝ないと人は死ぬ。」

「褒められながら死んでいきたいとすら思っている。」

「日々は不条理の塊だ。」

「人生、逃げに逃げてきた。」

「コンビニに至っては、あまりにもやることがたくさんあって絶対無理な気がする。」

「物を書いて食っていくということは本当に儲からない。」

「午後に“謝罪”という仕事が一件あった。」

「幸せと不幸の総量は変わらない。」

「あまりにも失敗を恐れる人は、実は大きな失敗をしたことがない気がする。」

「生きづらいのはもはや個性だと思おう。」

「一ヵ月なら、なんとかやり抜けられる。その集積が二十年とちょっとになった。」