■植物同定
今日は朝から雨である。朝はいつも通りに起床したが、昨晩のテレビが見たく、NHKプラスで見ていたので遅い出足になった。
9時前なので通行量は少ない。いつものセカンドオフィスへ向かう。ここでコーヒーを買っているが、飲み切れない場合が多く、その場合は持って帰る。そうして、次回はそれを持って入る。まさか、持ち込み禁止とは言われないだろう。
持ち込みで思い出した、自分と同じくコービーだけ買って座っている方がいたが、バッグの中からパン屋さんのパンを出して食べ始めたのには驚いたね。そういえば、おばさま方もグループで家で作って来たのを堂々と広げて食べていた。こいうのを見ると、やはり人間が劣ってきているのではないかと思ったりする。まあ、常識などというのは、時代を経て変わってくるものだと鷹揚に構えたい。
しかし、鷹揚に構えられない事態が発生した。トイレである。5分以上待っても出てこない。仕方がなく出て別な店で用を済ませた。このトイレ長問題は、しょっちゅう出くわす。そんなもん、ドン、ブリッ、シャーで終われないものかね。
昼になったので帰宅する。そして、昼食である。今日はラーメンの日である。日々、気が楽になる場合は、昼飯のメニューが決まっている場合である。そのため、前日には決めておきたい。
あまり、美味しくはなかったね。このパターンはもうないであろう。
少しなご成り、FM放送を聞く。その後、実家の後片付けをする。
嫌になったので、灯油を入れに行くが、出るついでに喫茶店に向かう。先週の土曜日は祭日で休みであった。
入って直ぐに、あの花の名前がわかるかと聞かれた。どうも外来種のようである。
何人もの方に聞いているようだ。皆、スマホで撮影して、それなりのソフトで確認しているらしいが、それでもわからないらしい。
見ていると花を撮影しているようだ。自分は葉っぱだけを撮影して、スマホに聞くと”カランコエ”と出て来た。まあ、間違っているかもしれない。植物の同定は、全体的に行う必要があるが、最も初歩的な方法は葉で確認する方法である。
なかなか面白い時間であった。
■「やっかいな問題はみんなで解く」(堂目卓生・山崎吾郎編、世界思想社、2022年)を読む。
「新型コロナウイルス感染症によって、人類は誰もが弱者になりうること、あるいは助けを必要とする人になりうることを共有した。」
「人類が今後直面する“やっかいな問題”の多くは、近代化によってもたらされたといってよい。」
「近代において、神ではなく人間へ、来世ではなく現世へ、永遠の命ではなく肉体の命へと人びとの意識は変容した。」
「国連は、2000年に“ミレニアム開発目標(MDGs)”を、2015年には“持続可能な開発目標(SDGs)”を採択した。」
「現在の世界は、こうして1960年代以降世界中で提起されてきた問題の多くを今なお引きづったまま、その延長線上に形成されている。」
「やっかいな問題
- 正解が存在しない
- 問題に終わりがない
- 真偽ではなく善悪が問われる
- 解決策の有効性を検証する決定的な手段がない
- 解決策は1回しか実行できず、試行錯誤から学べない
- 計画の範囲や手順をすべて書き出しておくことができない
- 問題は2つとして同じものがない
- 目の前の問題は、別も問題の兆候かもしれない
- 問題をどう説明するかによって、解決の仕方が変わる
- 間違った解決策は人びとの生活に困難をもたらす」
「ニーズとは、端的にいえば“満たすべき不足”のことだ。」