釘付け

■釘付け

 野球の放送が朝8時から始まると聞いたのは、喫茶店の常連さんからであった。その時点で自分の行動は変わってしまう。どうするかと悩んだが。ゴミ捨てをしてから、朝食を食べると放送が始まるまでの1時間が空いてしまった。

 筋肉痛は緩和していたが、普通とまでは言えない。捕まらなくても歩ける程度である。なんだかんだとゴロゴロしていたら、放送が始まった。

 これは負けるなと判断し、昼はどうしようかと考え始める。すると、同点になり、驚く。次にリードされ、やはり負けると考えて、このままなら昼近くに終わるななどと考えており、一歩も部屋から動けない。幸い、民放でCMが入るのでその間で用を済ます。こういうのを、テレビに釘付けというのだろう。

 最終回の逆転サヨナラは感動的であった。なんと勝ったのである。

 昭和前半生まれとしては、やはりサッカーよりも野球が面白く感じるね。

 明日は決勝戦ということであったが、この県では視聴できないようだ。系列テレビ局が無いとある。なら、見ないまでである。

 帰宅後、テレビを確認したら、5チャンネルで見れることが分かった。なら、明日も釘付けかも知れないな。

 終わった時は昼近くであった。これから、昼食を作る意欲は失せており、今日は外食にしようと決める。値段などどうでもいい。ただ、栄養などを摂取するのである。

 食べ過ぎである。サラダは3回、スープは4回、カレーライスは2回お代わりした。

 日頃の昼食代半月分の価格であった。やはり、世の中狂っていると思わざるを得ない。食パンに卵とコーヒーだけで400円もするモーニング、2貫で100円もする寿司、一杯300円もするコーヒー、かけうどんが240円もし、かけ蕎麦は300円もする。まったく暮らしにくい世の中になったものだ。

 胃から逆流している。そのまま、歩いてセカンドオフィスへ向かう。

 だいぶ眠っていた。フォレスト関連の事務作業も行う。

 帰宅後、フキミソを作る。昨日の天ぷらでは全部使わずに残して置いた。毎シーズン3種類作っており、今回が最後の白みそタイプである。

 また、少しづつ実家の後片付けをしよう。最近、日が長くなっており、稼働時間が増えていい。

■「裸で生まれ裸で帰ろう」(千咲 陽著、幻冬舎、2022年)を読む。(その1)

「立派な日本語があるのに、なんで横文字を使いたがるのでしょうね。」

「芸術は人生の必要無駄」

「でも、自分の体のことは、自分が一番良く知っていますよ。」

「あそこに生えるタンポポやミツバ、つくしんぼを洗って、スープに入れたりします」

「食事は日に一度でいい~」

「貧乏に近寄ってみると一つの発見をする」

「裸で物を落とす例なし」

「振り返ってみれば、長いこと貧乏暮らしだったことが、長寿の秘訣と言えば、秘訣だったのかもしれないなぁ」

「体は衰えていく一方なのに、頭の中は子供のまんま。」

「朝は四時か五時には目を覚まします。」

「新聞は読みません。新聞はお金がかかるでしょう。」

「今の自分が幸せなのか、どうか、は定かではない。」