年度末

■年度末

 ありがたいことに今日の予定はなかった。こんな日は、ゆっくりと昼寝をするのである。しかし、家人より本の返却期日が切れて督促状が来たというので、自分が返却に向かうことにした。車は空いていた。外へ出ると、朝方まで雨が降っていたようで、道路は濡れている。しかし、空には青空が広がっている。風は少し寒いが、こういう日に車で移動などもったいないと考え、徒歩で向かった。

 途中のイタチ川では、ソメイヨシノが満開のようである。緑色の花びらを付ける桜も見に行きたいと考えたが、確か、ギョイコウはソメイヨシノより遅かった記憶がある。

 図書館で返却してからどうするか。昨日はコーヒーが飲めないくらい多忙で、体中にコーヒー欠乏症らしき症状が出ている。こういう時は、美味しいコーヒーがいいので、セカンドオフィスへは行かず、喫茶店に向かった。

 相変わらず美味しいね。それに、静かでゆっくりと本が読めた。BGMも良かった。

 驚いたことに、お茶をサービスしていただいた。自分は常連といっても一週間に1回程度しか来てないのにこのサービスは心に響いたね。

 年度末である。この時期は何かと慌ただしい。師走以上であろうか。忘れないうちにどんどんやっておかないと、気が付いたら忘れていたに繋がる。先ずは、お出かけ定期券を思い出したので、帰路に公民館に寄る。高齢者の特権であろうか。まあ、行政の政策に乗っているのである。100円バスである。千円出して更新した。

 帰宅した時は昼を回っていたが、この後予定がないのでゆっくりと準備をする。今日は蕎麦の日である。あるもので済ませようと考える。ご飯があるので、麺は半分くらいにした。それでも、満腹である。やはり、天ぷらが多かったかもしれない。ナスとニンジンとサツマイモである。おろしそばは今日みたいな日には合う。

 そして、FM放送と流れる予定であったが、野球放送のため中止のようだ。ここで、いつものように、全ての音を消して睡眠体勢に入る。気が付いたら15時であった。これでは、また夜に眠れなくなるなあと考えながら、セカンドオフィスへ向かう。

■「ベンチの足」(佐藤雅彦著、暮しの手帖社、2021年)を読む。

「~夏に突然下半身がまったく動かなくなり~」

「もうお母さんじゃないのよ。あのお母さんじゃないのよ」

「知的な笑いは認知症への有効な対抗策」

「人間は何を持って、人間なのか。」

「~社会では気持ちはきちんと言葉にして初めて、人に伝わるものである。」

「グラフとは、つながり方の学問なのである。」

「あまりに稀有な事柄が立て続けに起こると、何かの存在を信じざるを得ない。」

「時間は誰に対しても平等に過ぎていく。」

「現地ではとんでもないことが起こっているのである。情報など伝えていられない状況なのである。」

「問題は与えられるものではなく、見つけるものなのである。」

「~難なく過ぎていく日常にわざわざ問題を見出すような行動は取らないのである。」

「~こん棒で頭を殴られたような強い体験をすることがある。」

「ある考えやものの見方を見つけると、それまで繋がっていなかった事が繋がる。」

「~私は毎日、ある歩数を自分の義務と課していた、もちろん健康維持のためである。」

「あぁ、またやってしまった・・・・・」

「失敗とは~普通では得られないような体験、つまり通常取得できない情報や知見がそこに含まれている可能性がある~」

「500円玉を貯金箱に入れるために千円札を使おうとする問題」

「でも、試みなければ何も得ることができない。」

「ハッキングの大体の意味は、コンピュータに関する高い技術や知識を持つ者が、プログラミングやシステムを改良すること~」

枯れた技術の水平思考