六月の風

■六月の風

 これはある程度予測できていたことではあるが、やはり朝は足に痛みを感じる。まあ、たいした距離を歩いていないとはいえ、山道である。登山後のような朝を迎える。

 そして真っ先に確認したのは、今日の昼食である。まだ、朝食も作ってないのにである。最近、外食が多かったので、ローテーションを忘れてしまっていた。今日は、蕎麦の日と確認できた。

 朝は、朝食後、親戚からいただいたタマネギをつるす作業から始まった。なかなか、大変であった。

 家庭菜園に水を遣ってから、セカンドオフィスまで歩いて向かう。今日は胃薬を買わなければならないので、それを見越した店にする。

 六月の風がいいと詠んだのは正岡子規であったが、はて?どういう俳句であったかは覚えているはずもない。このとき、自分は五月の風の方がいいなあと反論したくなったことは覚えている。しかし、今日の風は良かったね。日陰で一日中寝転んでいたい気分であった。

 帰宅後昼食を作る。すでに12時を回っているので、FM放送は食べながら聞くことになった。

 食べ終わってからもFM放送を聴きながらなごなる。少し眠ったようだ。

 ぼんやりと元気がでたので、フォレストの準備作業を行う。

 家人の買い物やら用事に同行して夕方、セカンドオフィスに来ている。

■「言い訳だらけの人生」(平 安寿子著、光文社、2015年)を読む。(その2)

「~百歳の医者がいる世の中だ。」

「人付き合いは金がかかるから、やらない。」

「はみ出し者の不幸は、ぱっとしない凡人の暮らしを癒す一服の清涼剤だ。」

「居場所とは物理的な場のことではなく、気持ちを遊ばせる場、嫌なことがあっても忘れさせてくれる場のことだ。」

「孤立する変人でいられるというのは、どういう人間だろう。」

孤独死を悲惨なことのように言う風潮がわからない。」

「それでも、年寄りが迷惑な存在になるのは、家族や周辺の誰かに寄りかかった場合だ。」

「何かを懐かしく思うのは、負け犬のすることだ。」

「軽く考えれば、本当に軽くなるような気がする。」

「身の回りのことも、自分の生活も、すべてがどうでもよくなった。」

「夢を売る事業に関わる人間は、現実を見ないものだ。」

「負ける戦いは避ける生き方」

「自己破産は貧しくとも清く正しい生活を送るにはうってつけだ。」

「誰がなんと言おうと、金と学歴と家庭のありようが生き方をおおいに左右するのが世の中だ。」

「どんな境遇でも、たいがいの人間は普通に頑張るのだ。」

「人生は楽しんでナンボ」

「なぜ、子供向けのファンタジーが揃って、親のいない世界を描くのか。」

「なるようになる。なるようにしか、ならない。それが人生なんだから、十年後の生き方など、思いわずらっても仕方がないではないか。」

「できないやつをちゃんと育ててやろうなどという親切心はどこにもない~」