禁止破り

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■禁止破り

 現在、病気療養中の身である。

 主治医より退院後の生活の注意点が示されていた。

 自分からの問い合わせに答える形で、温泉、サウナ、人混みは、避けるようにと指示があった。

 そして、その理由は、現在服用している薬の1つに、免疫抑制剤が含まれており、身体全体の免疫力が弱くなっている。温泉等には、レジオネラ菌が居る可能性がある。通常なら問題ないが免疫抑制剤を服用している間は、止めといたほうがいい、とのこと。

 また、入浴は思いのほか体力を使うと付け加えられた。

 確かに、入院時シャワーですら身体洗うだけで、は、■■■■■■■は、80代まで下がったので、■■■■しながらの入浴になっていた。

 家人から無料券をもらっていた。

 もう少し良くなったら行こうと決めており、在り処を確認しようと探し出し見てみると、有効期限があり、1月末となっている。

 ここで悩む。数日悩んでいたようだ。

 条件付きで温泉へ行くことにした。

 朝一、露天風呂には入らない、一時間以内とした。もちろん、途中で具合が悪くなれば直ぐに出る。

 そして、あえて雪が降った日にした。

 入り口の料金設定を見て驚いたね。

 入浴料が、1000円と出ている。

 これでは、無料券が無くなったら来れないね。

 狙い通り数人しかいない。そして、禁止破りを行なった。

 露天風呂には入らなかったものの、サウナは、2か所入った。特に、炭酸泉には、密な状態で長い間浸かっていた。

 上がってから、体調が悪くなりしばらくソファーで休む。記憶の範囲であるが、8ケ月ぶりの温泉であった。

 身体の不調は、帰宅後も続いていた。

 帰ると昼食である。具合が悪いので外食するかとも考えたが、既に肉の解凍が終わっていたので作る。

 今日も満足な昼食であった。

 無料券は、もう一枚残っている。

■「ゼンマイ」(戌井昭人著、集英社、2016年)を読む。

「知識は学問で得て脳で熟成させるのではなく、ストリートから得て肉体で熟成させる。」

「わたしは、カモにされたらしい。」

「~世の中なんて、不思議な出来事が簡単に起きるくらい、くだらねえんだ」

「すべてが騙し合いだった。」

 

 

 

水曜日

■水曜日
 通院前までの水曜日は、普通の日であった。ところが、水曜日の起きがけに服用する薬を処方されてからは特別な日になった。この薬は、服用後30分は、横になれない。
 このところの自分の日課は、5時頃起き、家族のために居間と脱衣場に暖房入れ二度寝する。
 ところが、水曜日だけは二度寝が出来ない。
 また、28日に一回の診察も水曜日である。
 そのため1月に入ってから、毎週水曜日は、定例作業を行っている。
 定例作業は、パソコンのバックアップ、エンディングノートの更新、確定申請で三つある。
 バックアップは、新しいデータだけの追加コピーにした。DSSへのコピーなので楽である。
 エンディングノートは、表紙に年度を書き、毎年作り替えていたが、これからは変更の部分のみ差し替えとし、年度は消去した。毎年見直しているにもかかわらず抜けやら見落としが見つかる。
 最後は確定申請書類の作成である。まぁ、国税庁のホームページから順次入力すれば済む。
 今年はだいぶ変わったのでまごついた。
 もちろん、事前に書類の整理をしたり、医療費の計算は済ませてある。
 何とか終わった。提出は、来月からなので次いでの時に印刷すれば済む。
 このホームページでも盛んにスマホから申請出来るとPRしている。
 自分は、スマホからは面倒であると考えて来たので、いろいろなPRにもどこ吹く風であったが、今年から使わない理由を答えなければ次へ進めなくなった。
 あのね! 医療費の明細等の添付書類は税務署に届けなければならないと書いてあるね。なら、一度で済ませたいと考えるのが普通じゃないのか。
 つまり、自分の解釈ではeーTAXは、添付書類のない健康な人向けだと結論付けている。
 裏庭を見に行ったら、しいたけが出ていた。

 これは、山へ行って落ちている枝を拾っ来て、自分で植菌したものである。
 すごく肉厚で驚いたね。
 これも定例作業にしたい。

■「“気づき”の力」(柳田邦男著、新潮社、2008年)を読む。(その2)

「そんな祖先の労苦の結晶を、効率主義と拝金主義に洗脳された現代人は、あちこちでいとも安易に放置し、崩壊させている。」

「山菜料理~クサギの若葉~」

「~人様を変えることができないなら、自分が変わるしかないという言葉だ。」

「“あるもの探し”―――これは人間が足るを知ってこそ、心が豊かになるという人生観そのものでもあるだろう。」

「金がないなら、愚痴でなく知恵を出そう」

「テレビ界の人間の頭脳の低さをあれほど巧みに見せてくれる番組はなかったのに。」

「~現代社会ではいたるところで人々を騙す捏造や隠蔽や欺瞞が横行しているのだ。」

現代社会には、一匹の妖怪が徘徊している。数字という妖怪が」

「医療費の高騰を抑制する手段として、療養病床を廃止させ、在宅医療をもちだす行政の何たる破廉恥さか!」

「攻撃法はすぐにわかった。一つのサーバーのサイトに同時に大量のアクセスをすることによって、サイトを自動的に機能停止にさせてしまうのだ。」

「二十一世紀という時代は、とんでもない負の技術をかかえてしまったのである。」

「~多くの人が、“無駄な延命治療はしないで、痛みや苦しみのない自然な死を迎えたい”という意味で、尊厳死を望むようになっている。」

「予後の長さは不確定な要素が多いので、患者に言わないのが通例だ。」

「医師は、水補給をやめると、患者は一時激しいのどの渇きや苦しむ症状に見舞われるが、それを通り越すと、痛みも苦しみもなくなって、意識も薄れていくと説明~」

「人生には時に“100点以外はダメなときがある”ことを知る必要がある。」

「己を賭けることもなく、責任を取る気もなく、100%正しいことを言うだけで、人の役に立とうとするのは虫がよすぎる。」

「内観って、何か凄い可能性を秘めているな」

「~自分の自己形成において、いかに母の無言の支えが大きかったかを、いやというほど認識させられた。」

「人生の曲がり角に立っていながら、曲がり角に気づかないで、どこかとんでもない方角に行ってしまったかもしれない。」

「~便利さや効率やお金をひたすら追求している現代文明とりわけIT文明への疑問であり~」

「今求められているもの、それは価値観の転換であり心の持ち方の転換だ。」

 

 

携帯マナー

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■携帯マナー

 最近、スマホのマナーが緩んで来たようだ。たまたまかと思っていたら、あちこちで目にするようになった。

 一番いらつくのは、仕事の連絡である。堂々と普通の声量で話している。

 少し前は、バスの中で小声で話してバスを降ろされた人もいたようだ。

 たまに、無神経な高齢者がスマホで連絡して、トラブルの内容にだんだんと声量は大きくなり、店の人に注意されていたのを、見た。

 特に経営層にその傾向が見られるようだ。会社員は、まだ遠慮がちに話す。

 コーヒーショップやファーストフード店は、セカンドオフィスではない。

 聞こえるような音楽を鳴らしている若者も多い。

 それでも、御婦人方の会話や、幼児の叫び声に比べたら、ましである。

 携帯マナーは、今はほとんどの方が持っているので、お互い様という意識なんだろう。

 根低にほ、スマホが使えないと生活しにくい社会が作られたことである。

 調べたいことは、直ぐに検索できますと言っても、そう頻繁にある訳でもないし、電話やメールがその場でできますと言っても、月に数件だし、緊急連絡等、年にあるかないかだし。

 携帯の使用料というか維持費は、年金の■■%ほども占める。

 世間は、言う。いやいや、カードをスマホに入れておけば探さなくてもいいし、キャッシング機能を使えば、小銭の煩わしさから開放されるし、財布すら持ち歩かなくて済む。

 ふーん。

 というとこは、スマホを無くしたり、壊れたりすると生活が出来ないことと同じではないか。

 最近、スマホの上手い使い方を発見した。

 文鎮代わりに使うのである。

 こうすると、本を読むときのわずかから開放される。

 少し、スマホを見直したね。

■「“気づき”の力」(柳田邦男著、新潮社、2008年)を読む。(その1)

「よく考えてみれば、“最新の若者は”などと言う大人に限って、自分が若かった頃のことを振り返ってみようともしないのが世の常。」

「~その“見る眼”と“気づき”が大事だ。一口で感性と言うことができよう。」

「体験を文章化するとは、体験を漠然と記憶しておくのではなく、体験が自分にもたらしたものを整理する作業にほかならない。」

「このことは、広がりつつあるネットを利用する教育では、骨身に沁みて開眼するような学びは得られないということを示している。」

「一日一日がゆっくりとすぎ、すばらしい。」

「~人は孤独にならなければ、真剣に“考える”という経験をしないで過ごしてしまい、考えるという“心の習慣”が身につかないだろう。」

「想像力や感性の枯れた大人にこそ、絵本はその再生の特効薬なのだから。」

「いつ失うかもしれないいのちの危うさ。」

「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。」

「~すべて孤独はあってはならないものであるかのような風潮になっているところに問題がある。」

「~バーチャル・メディアにばかり時間を費やすと“考える力”や感情・感性の発達が阻害されるおそれがあることにどう対処するか~」

「~ネットの便利さばかりに浮かれているこの国の軽佻浮薄さに警鐘を鳴らした~」

「百人の村で、五人を犠牲にしてでも九十五人が便利で豊かになれば、それで“美しい国”とするのか、それとも五人もの犠牲者を出さないように、九十五人が配慮して多少の不便さを受け入れる社会づくりをしてこそ“美しい国”と言うのか、その選択を問いかけているのだ。」

「~ケイタイを使っている人を見て、“この人たちは何も見えていない”と感じたという。」

「技術は心が整った後からついてくるものだ」

「そう、人生の方向さえ決める心の大事な要素は、感性というものだ。」

「~ゲームやケイタイ、ネットなどのバーチャル・メディアに子供たちが浸り切って、人間形成にゆがみが生じている現実があるので~」

「教育までが、効率主義と合理化に支配されてしまったのでは、世も末と言わざるを得ない。」

「人間が生きていく大本のエネルギー(気)を、古代中国の人は元気と呼んだ~」

 

 

 

干支登山下見

■干支登山下見

 今週末は天気がいいようだ。かねてから計画している干支登山をやろうとなった。

 しかしながら、県外でもあり二人とも初めてである。お互い下調べをしてからの行動になった。場所が場所だけに、下見に終わっても構わないという条件も付いた。

 これまでの登山の下見で嫌なことがたくさんある。自分が計画して登山仲間を集めて登る場合である。下見には費用と時間がかかる。一番大きいのは下見で登頂していると本番での楽しみは激減する。

 ある会の行事で二人を連れて里山へ登ることにした。自分は初めての山で下見をしてないということも同行者にも伝えてあった。

 ところが、下山途中で道を間違え迷ってしまった。日も暮れて、途方にも暮れていると偶然通りがかった地元の農家の方に助けていただき、大事には至らなかった。まあ、こういうことも面白い内に入るものだ。

 ところが、同行した内の一人が、報告会で、ぜんちさんに迷わされて酷い目にあったなどと発表したらしい。その後、他の人の自分を見る目が変わった。

 自分の考えは、やはり参加者が互いに下調べをして望むべきと思う。お客さんのごとく付いて来るなら後で文句は言わないで欲しい。もう、二度と一緒に登ることはなくなった瞬間である。

 目的地付近までは、自動車専用道路二本で向かう。自分は初めてであるが、その景観、速さ、信号のないことに感動であった。

 今回は、まずくさのさんの海沿いからのルートで向かった。ところが、通行止めであった。

 次に自分が調べた国道の山側からのルートで向かった。途中、目印のミズバショウの看板があり、細い林道沿いに向かったが、通行止めであった。バックで数百メートル下がり、国道を目ざす。

 いくらなんでも国道は大丈夫だろう。しかし、国道が通れても、林道は歩いてでも登る予定で打ち合わせしていた。ところが、ところが・・・・通行止めであった。

 もはやここまで阻まれると納得である。まあ、予想通りの結果になった。結果的にこの山は12年後の干支で登頂することにして帰路に向かう。

 せっかくここまで来たのだから、名物を食べようと調べていたら、やはり牡蠣だろうとなった。「穴水 ランチ」で検索したら、星4つの店があり向かう。

 ところが、廃業されていることがわかった。

 仕方がないので、のれんを下げている店に入る。

 まあ、普通の店であった。

 そして、最後は温泉である。帰り道の途中にあるのでそこへ向かう。

 これまで何回か来ているが、いい湯であった。時間もたっぷりあったのでゆっくりと入る。露天風呂は少し熱かったね。

 運転を交代しながら、帰路につく。食後はコーヒーと精算と打ち合わせである。

 次なる干支登山を調べると候補が出てきた。まあ、雪山で登らなくてもいいのであるが、やはり混雑は避けたい。

 結果的にドライブのようになってしまったが、いい一日であった。

■「老後とピアノ」(稲垣えみ子著、ポプラ社、2022年)を読む。(その2)

「老人とは“できない”ことを認めたくない生物だ。」

「全くヒトとは恐ろしく進歩しない生き物である。」

「若くなくともコツコツと真摯に取り組めば、わずかな前進も積もって大きな一歩となるのである。」

「~“楽譜の大切さ”については散々教わって参りました。」

「大人の武器は“努力すれば報われると知っている”ことである。」

「これからは寂しく閉じていくばかりと諦めていた我が人生に、尽きることのない豊かな美と楽しみの泉が忽然と現れたのだ。」

「~何しろ練習するほど体が壊れていくのである。」

「年を取った者には、努力だけではどうしようもないことが溢れているのが世の現実である。」

「痛みや故障は、筋肉を緊張させたまま演奏することが原因で起こります」

「だが確かに、物事には限度ってものがある。」

「私はずっと、何事も目標を定め、それに向かって邁進すればすごいものを手に入れられると思ってきた。でもそうじゃなかったのである。」

「努力だけではどうしようもないことがある。」

「人はその一生を、脳の機能の大半を使うことなく終えていくというのは有名な話だ。」

「肝心なのは結果じゃない。自分をとことん使い果たして生きて、死んでいくこと。」

「~今や楽譜はインターネットで検索し、ほとんど“瞬時に”手に入るんです。」

「それは、手に入れた楽譜を“拡大コピー”することだ。」

「進歩と退化は同時進行。」

「遠くに目標は持たず、今日の前にあるミクロのことに全力をかける。」

「老人は今に全てをかけるのだ。」

「人は生きている間に精一杯生きればそれでよいのだ。」

 

作り置き

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■作り置き

 毎食の献立を考えることは、大変である。世の中のお母さん方の努力に称賛を送りたい。
 味覚障害のため、外食は美味しくないので自分で作ることにした。
 しかし、少しでも手を抜きたいと考えている。
 最近取り入れたのは、作り置きである。
 カレーのスープをたくさん作り、冷蔵庫で保存する。このスープで可能な昼食は、カレーそば、カレーうどん、カレースパゲッティ、カレーラーメンになる。
 そして、五目あんである。これで可能なのは、中華丼、五目あんかけ硬焼きそば、五目あんかけスパゲッティである。
 さらに、炊き込みご飯である。
 これに、丼物を加えれば、メニューに悩むことは、少なくなった。
 次なる目標も見えている。漬物を手作りしよう。
 サイドメニューには、野菜サラダ、味噌汁、漬物は、欠かせない。

■「老後とピアノ」(稲垣えみ子著、ポプラ社、2022年)を読む。(その1)

「~自分の時間もエネルギーも会社に吸い取られるがままに生きてきた。」

「要するにずっと、“やりたくてもできないこと”をたくさん抱えて生きてきたのです。」

「一体私はどこに向かっているのか? 明らかにどこにも向かっていない。」

「指は動かないわ頭は動かないわ楽譜は老眼で見えないわ~」

「いつだって、より早く、より多くの結果を出すことを求められ、それができないものは敗者である。」

「何しろ目標がなければ挫折もない。」

「何しろもう人生のピークを過ぎて出世も名誉も諦めた私には、時間だけはたっぷりあるのだから。」

「“本当に楽しいこと”にたどり着くには目の前の楽しいことに飛びついてばかりではダメなのだ。」

「なぜ早朝かというと、誰にも聴かれたくなかったからだ。」

「人生は長いようで長くない。」

「ルールには意味があり、そこには先人たちの知恵が詰まっているのである。」

「やる気とは、“やり方”さえわかればちゃんと出るものなのだ。」

「世間のたいがいの出来事には答えなどない。」

「楽譜とは、作曲家の残した“宝の地図”なのだ.」

「肝心なのは一歩踏み出すこと。そして諦めないこと。」

「何しろ我ら中高年にはもう時間がないのである。」

「ピアノの習い手といえば、私のような“人生に先の見えた中高年”が主流となりつつある。」

「~要するにほぼ初心者であり、しかも年を食っている。つまり、将来などない。」

「だがしかし、大人とはハードルが高いほど意地になるものらしい。」

 

太陽光発電

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太陽光発電

 もう何年前かも忘れてしまったが、何かに衝き動かされるように太陽光発電を導入してしまった。
 売電で元を取ろうなどとは、考えておらず、気兼ねなくエアコンを使いたかった、と思い出す。
 室内に発電量を表示する装置があり、洗面時にその値を確認するのが習慣になっている。
 しかし、入院前はからエラーメッセージの出るようになった。
 コントローラーを交換しなければならないらしい。約50万円ほど掛かる。
 昨年の夏は、暑かったようだが、自分は、エアコンの効いた病室に居たので実感がない。
 退院後、コントローラーを交換した。メーカーの試算では、交換したほうがメリットが多いとあった。
 もう10年は、経過しているので補助は無くなった。しかし、制度が変わり、7円で発電出来ることになった。
 毎月わずかであるが、これまでゼロと考えて来たモノが入金されるので、なんか嬉しい。
 毎日確認しているが、発電しない日がある。積雪がパネル全体を覆った場合は、発電しない。
 やはり、代替可能エネルギーは、駄目だね。
 これからは、常温核融合に期待したい。ただし、生きておれば。
 最近の話題で、人工光合成が出来た話は、驚いたね。原子力電池は、もうすぐ実用化される。これで、スマホの充電という言葉が死語になる。
 太陽光発電では、想定外のコトが起きる。まとめて雪が降り積もると、表面がつるつるなので、まとめて落下する。さしずめ振動2ぐらいてある。
 過去にこれで自家用車を廃車した。

■「月と散文」(又吉直樹著、KADOKAWA、2023年)を読む。

「~多くの人が嘘みたいな日常を生きている。」

「生まれ方も死に方も選べないけれど、生き方は選べる。」

「人に本を薦めるのは怖い。」

「自分と異なるどこかの世界では、本を読むことが格好良いことだったのだ。」

「表現することに脇役なんていないのだ。」

「~第三者による客観的な発言が重宝され過ぎていると普段から疑問に感じていたからだろう。」

「自分より立場の弱い人間をいじめることで溜飲を下げたり、快楽を得たりする人がこの世に一定数存在すること~」

「愚直なまでに屈折している」

「みんなが普通にできることができないというのは、なかなか目立ってしまうようだ。」

「なにもしない、ということをしている」

「散歩を日課にしている。」

「理由なく、雲を眺めているだけの時間が楽でいい。」

「特に子供が同じ信号機で待っている時などは、怖くて信号無視なんてできない。」

「そう考えると無限の向上心なんて考えは捨て、ちゃんと立ち止まってその瞬間を愛でる感覚を持つ人こそが、最強の勝者なのかも知れない。」

「言葉を尽くしても描き切れないような大切な記憶を、暴力的な言葉で片付けられてしまう無念。」

「家から歩いて三十分ほどの場所に大きなカフェが鎮座している。」

 


 

上には上

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■上には上

 コーヒーショップに入ると奴がいる。♫やつは デビル〜
 八人掛けの電源テーブルの角だ。自分は、その対角線上に座る。
 歳の頃は40代に見える。本を読んだり、パソコン作業をしたりと、いろいろだ。
 朝一に入ってもいるし、午後から入ってもいる。
 平日も休日もいる。
 まあ、分かっていることは、働いていないようだということと、県外ナンバーの車で来ていることだけだ。
 まったく、上には上が居るものだ。
 自分が認識しているのだから、彼も自分を意識していると思う。
 お互いに常連であるが、お近付きにならないようにしたい。
 しかし、似たような行動様式なので、微笑ましい感じがする。
 今日は、平日なのに混んでいる。一人掛けの席にして良かった。
 また、新たな発見があった。レジの液晶パネルには、長時間過ごさないで欲しいと、出ている。具体的には、何時間だろうか。
 奴は、5時間以上過ごしていると想像出来る。
 自分は、だいたい2時間か、コーヒーが無くなるまでにしている。
 まあ、途中で帰ることもしばしばある。

■「人生はピンとキリだけ知ればいい」(森繁 建・和久昭子著、新潮社、2010年)を読む。

「~何でも自分で作り上げてしまった父。」

「過去を振り返らない」

「~人生の主役は自分自身。」

「俺は、万が一の場合になったら、尊厳死を選ぶよ」

「旅人よ 誰にでも微笑むがよい みんな淋しいのだから」

「~夏の暑い時期は、知らないうちに水分を発散していて、痰が固くなって切れなくなる。」

「話すことはできなくても、耳はしっかり聞こえていたようです。」

「~すべては私と共にあり、私と共に無くなるのである。」

「あんなに元気で丈夫だった身体からみるみるうちに力が抜け、気力もどんどん落ちていくのです。」