■昔の記憶をたどる(1)
20代の時に住んだり働いていた場所を50年経って見てみたいと考えていた。
思い付いてから実行まで数年掛かっているかも知れない。
登山用に準備してあった予算が少し残っているのでこれを東京行きに充てる事にした。
東京駅周辺には、会社が借りていた一部屋の事務所があった。なぜ今でも覚えているかというと丸の内にあるのに丸の内八重州ビルという名前の建物だったので覚えている。
通勤は、丸の内南口から関東中央郵便局前を闊歩した。
まず、関東中央郵便局の大きな文字看板がなく小さく東京中央郵便局となっていた。


次に記憶だけでビルを探す。こういう時に邪魔なのはスマホなのでリュックにしまう。
ところどころに立っている住宅地図を頼りに探すも見つからない。しかし、記憶に近いビルがあった。名称も変わり一階にテナントが入っている。
市街地図でも撮っておこう。

まあこれでいい。深追いはしない。
続いて八重州ブックセンターへ向かう。この本屋ではいろいろ買っていた。丸の内側から八重州側への自由連絡通路を使い記憶を頼りに南口方面に向かう。
地図には、はっきりと書いてあった。

しかし、その場所は工事中であった。工事が終ったらビルの中に入るかも知れない。次回に持ち越しである。
続いて新橋である。ここへはガード下の安い店にアタッシュケースなどを買いに来ていた。
システムエンジニアをしていたのでアタッシュケースは必需品で3個は買ったようだ。
新橋駅に着いて驚いたね。展示してあるSLの場所が移動していた。ガード下の安い店は、別の店に変わっていた。

続いて、田町である。田町は、三田方面と芝浦方面に分かれる。東京で働く最初の住まいが三田方面であった。

森永ビルが無くなっている。工事中なので建て替えかも知れない。朝は借家を出て田町駅前の森永ラブでモーニングセットを頼み、始業30分前に店を出て芝浦方面にあった職場に通っていた。森永ラブは、途中でマクドナルドに変わり今は別の店になっていた。
食べるものも当時の食事でと考えていた。朝はモーニングセット、昼は職場の弁当と覚えているが、夕飯の記憶が薄い。今と同じでお金が無かったので、毎日袋ラーメンとフランスパン三分の一が多かったという記憶が一番強い。
駅の前で露店を開いており名刺入れを買った。もちろん合皮である。この名刺入れは、今でも現役である。
芝浦方面に向かうも記憶がほとんどない。そんな中で芝浦工大の前を通って橋を右折した記憶があり、向かうも大学はなかった。しかし、跡地の看板があり、この道だと確信した。

橋を右折したが職場があったビルの場所は大きな駐車場になっていた。昼休みに道路でキャッチボールをしていたのでこれくらいの幅の道路だったようだ。もしかしたら、もう一つ奥の橋だったかも知れないが戻る事にした。
次は高輪ゲートウェイ駅である。新しく出来た駅なのでここで降りる。
大きなテーマパークのようだ。

ここでコーヒーショップへ入るものの地元で390円が400円であった。店内は混んでいたのでテラス席で休む。

このコーヒーショップは、駅の中に作られているので日射しは防げて雨も掛からないので半分は屋外である。
解放感抜群でときおりいい風が吹いてくれて寝落ちしてしまった。
しかし、構内放送がひっきりなしに鳴り響きうるさかった。
宿泊場所にネット予約した時刻にはだいぶ早かったが、先にホテルでチェックインすることにした。
しかし、なんと予約がされてないとのこと。自分は、後から電話でも確認しているのである。引き落としがされていないことを確認し、当日予約をする。これからは、この手だなぁ。
(続く)