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■携帯マナー
最近、スマホのマナーが緩んで来たようだ。たまたまかと思っていたら、あちこちで目にするようになった。
一番いらつくのは、仕事の連絡である。堂々と普通の声量で話している。
少し前は、バスの中で小声で話してバスを降ろされた人もいたようだ。
たまに、無神経な高齢者がスマホで連絡して、トラブルの内容にだんだんと声量は大きくなり、店の人に注意されていたのを、見た。
特に経営層にその傾向が見られるようだ。会社員は、まだ遠慮がちに話す。
コーヒーショップやファーストフード店は、セカンドオフィスではない。
聞こえるような音楽を鳴らしている若者も多い。
それでも、御婦人方の会話や、幼児の叫び声に比べたら、ましである。
携帯マナーは、今はほとんどの方が持っているので、お互い様という意識なんだろう。
根低にほ、スマホが使えないと生活しにくい社会が作られたことである。
調べたいことは、直ぐに検索できますと言っても、そう頻繁にある訳でもないし、電話やメールがその場でできますと言っても、月に数件だし、緊急連絡等、年にあるかないかだし。
携帯の使用料というか維持費は、年金の■■%ほども占める。
世間は、言う。いやいや、カードをスマホに入れておけば探さなくてもいいし、キャッシング機能を使えば、小銭の煩わしさから開放されるし、財布すら持ち歩かなくて済む。
ふーん。
というとこは、スマホを無くしたり、壊れたりすると生活が出来ないことと同じではないか。
最近、スマホの上手い使い方を発見した。
文鎮代わりに使うのである。
こうすると、本を読むときのわずかから開放される。
少し、スマホを見直したね。
■「“気づき”の力」(柳田邦男著、新潮社、2008年)を読む。(その1)
「よく考えてみれば、“最新の若者は”などと言う大人に限って、自分が若かった頃のことを振り返ってみようともしないのが世の常。」
「~その“見る眼”と“気づき”が大事だ。一口で感性と言うことができよう。」
「体験を文章化するとは、体験を漠然と記憶しておくのではなく、体験が自分にもたらしたものを整理する作業にほかならない。」
「このことは、広がりつつあるネットを利用する教育では、骨身に沁みて開眼するような学びは得られないということを示している。」
「一日一日がゆっくりとすぎ、すばらしい。」
「~人は孤独にならなければ、真剣に“考える”という経験をしないで過ごしてしまい、考えるという“心の習慣”が身につかないだろう。」
「想像力や感性の枯れた大人にこそ、絵本はその再生の特効薬なのだから。」
「いつ失うかもしれないいのちの危うさ。」
「心で見なくちゃ、ものごとはよく見えないってことさ。かんじんなことは、目に見えないんだよ。」
「~すべて孤独はあってはならないものであるかのような風潮になっているところに問題がある。」
「~バーチャル・メディアにばかり時間を費やすと“考える力”や感情・感性の発達が阻害されるおそれがあることにどう対処するか~」
「~ネットの便利さばかりに浮かれているこの国の軽佻浮薄さに警鐘を鳴らした~」
「百人の村で、五人を犠牲にしてでも九十五人が便利で豊かになれば、それで“美しい国”とするのか、それとも五人もの犠牲者を出さないように、九十五人が配慮して多少の不便さを受け入れる社会づくりをしてこそ“美しい国”と言うのか、その選択を問いかけているのだ。」
「~ケイタイを使っている人を見て、“この人たちは何も見えていない”と感じたという。」
「技術は心が整った後からついてくるものだ」
「そう、人生の方向さえ決める心の大事な要素は、感性というものだ。」
「~ゲームやケイタイ、ネットなどのバーチャル・メディアに子供たちが浸り切って、人間形成にゆがみが生じている現実があるので~」
「教育までが、効率主義と合理化に支配されてしまったのでは、世も末と言わざるを得ない。」
「人間が生きていく大本のエネルギー(気)を、古代中国の人は元気と呼んだ~」