■トイレ考
新たな発見があった。まぁ、他愛もないことである。
少し前に水洗トイレが自動で流れてしまい自分の健康状態が確認出来ないので余計なお世話的なことを書いた。
そして、本日その仕組みが判明したのである。
結論から云えば手かざしセンサーが真横に付いているので、ことを済ませ立ち上がった時に自分の体がセンサーをかざし水洗が作動するのであった。
仕組みが分かれば対応出来ると挑戦したものの、センサーに触れずに立ち上がることは、不可能であった。頭の中ではミッションインポッシブルのトムクルーズを描いていた。
トイレ次いでに思い出したことがある。数は少ないものの、トイレットペーパーが直ぐに切れるホルダーがある。芯の部分が回りにくくガタガタするので二枚ほどで切れてしまう。
これは、経費節減のため、ペーパーを使わせない工夫と判断した。
まぁ、確かに使用枚数は少くなるようだ。
不特定多数が利用するトイレでは、注意をすることが多い。
ある時、歩くのにも難儀な高齢者の後に入ったら、便座を上げずに用を足していた。便座は、ビチャビチャである。この時は我慢して、精算後最寄りのスーパーで済ませた。
紙がないことも良くある。自分は、常日頃コーヒーショップやファーストフード店で出された未使用のナプキンをリュックサックに入れている。
これまで何回か役に立ってくれた。
生活の基本は、食う、寝る、出すであり、これからも用心して行きたい。
■「中野のお父さんと五つの謎」(北村 薫著、文藝春秋、2024年)を読む。
「漱石が、“アイ・ラブ・ユー”を“月が綺麗ですね”と訳したというのは、確かに面白いですものね。」
「日常の当たり前―――が、どんどん変わってしまう。」
「誰にも、若い時はありますよ」
「蝶の数え方は、正しくは“何頭”となるわけだが、時には正しいことと実感が一致しない。」
「~“白浪”には“どろぼう”という意味もある~」
「一線を守る誇りが、人を支える。」
「耳をふさいでおききなさいよ」
「昔は、寄席に火鉢があったんですね。」
「経年劣化だね。」
「~流行れば流行るほど損をする」
「世代が違うと分からなくなることは、いっぱいある。」
「知らないことは、山ほどある。」
「そういうーーー誰もが知っていた、当たり前のものが分からなくなる」
「“万葉集”~折口が、この本を出した頃は、日本中どこでも、誰でも“まんにょうしゅう”といっていたのさ」
「長生きして、若い者の死を見るのは、年寄りにとって哀しくつらいことだ」
「秘密を持つのは大人になった証拠だと太宰治がいっているらしい。」
「篆字(てんじ)とは、漢字の古い書体のことだ。」
「喜ぶにも、学問が必要ですね」
「“銀座にブラジルコーヒーを飲みに行こう”というのが“銀ブラ”の語源だと言われています」
「人間最後になると自分のことしか考えないものだ」
「そうなれば、旅行に行くより、飲み食いするより、まず第一に、復刻本を買おうと思う」