■観察
昨日と打って変わって今日は晴れのようだ。朝一にセカンドオフィスまで歩く。陽射しはでていたものの寒く、雪がちらついた。今日は水曜日なので常連さんは来店されないとグループLINEが入っていた。いつもの席は空いていた。
いろんな方が出入りされるので、じっくり観察していると面白い。
身なりのキチントされた高齢者の男性が、注文後席に着く間に、おしぼりを一握り、多分10個ほど持って行った。これは犯罪ではないのか。そうして、10分ほどで出て行った。狙いはおしぼりであったようだ。
声の大きなおばあさんが来店され、いらんことをいいながらレジを遅くしている。
新聞はないかと誰に聞く訳でもなく大きな声でしゃべりながら、喫煙室に入った。しばらくして、コーヒーがぬるいとクレームを付ける。時間が経てばぬるくなるのは当然であるが、それを分かろうとしないようである。店側は、困った顔を一切出さず(さすが)蒸気で加温して渡した。おばあさんは、気を良くしてお菓子を追加注文して、喫煙室に入っていった。問題はここからである。帰る時に、返却台にドーナツの食べ残しを置いて、甘すぎたなどといいながらスタッフの声掛けしている。スタッフは直ぐに下げてしまったが、そのおばあさんそれを見てから、ナプキンを取って、持って帰りたいと駄々をこねるようにする。食べ残しドーナツは既にゴミ箱のなかである。スタッフは新しいのを渡した。これなんか、確信犯であろう。
若い方も問題である。最近、遠隔によるやり取りが流行っているようである。そうすると、突然、パソコンに向かってしゃべり始める。普通の声の大きさである。これは、迷惑極まりない。男性だけかと思ったら、うら若き女性もパソコンに向かってしゃべっている。
また、常連さん達が盛り上がっているのもうるさいねえ。
驚いたことに、来ないと連絡された常連さんが入店された。20分だけお付き合いということであった。キャンプの話で盛り上がったね。
昔のことも思い出した。ある定食屋さんである。よたよた歩きのおじいさんがすれ違い出来ないほどの通路で立ったまま動かない。いや、財布の中を調べているようだ。この方は、先ほどまでトイレに入っていた方である。こっちも、もようしているので、別のルートからトイレに入った。が、便座を降ろしたまま、小便をしたようで、便座のうえやら周りがべたべたになっており、自分はスーパーのトイレに必死の形相で飛び込んだ。(セーフ)これなんか、将来の自分の姿かねえ。
さて、昼食である。今日は、ごぼう天の予定である。八百屋さんでごぼうだけを買ってくる。この店は1点買いも可能なのでいい。ごぼうは1mほどなので、リュックに差す。ホームレスの方々が、雨傘をリュックに差して歩いているのと同じである。
ごぼうと人参と自家製しいたけでかき揚げを作る。ごぼうは、食感が大事なので包丁で何たら削り?で削り、水に浸す。小麦粉は少なめで、長めに揚げる。
ごぼう天は上手く行ったが、厚揚げはダメである。昨日の残りがあった。今回は焼いて、しょうがしょうゆと考えていたが、田楽風に味噌の方が良かったようだ。
午後からは、近くを散策する。まだ、かすかだが、ジンチョウゲの匂いがする。匂いのする方を歩いて突き止める。これが、昔やっていた沈丁花探しである。
■「愚者が訊く」(倉本 聰・林原博光著、双葉社、2014年)を読む。(その2)
「~欲望を解放しても生きられる快感を、手にしちゃった~」
「~最先端の自然科学者が哲学をやらなければいけない~」
「知識はあっても、智恵は感じられませンね。」
「物が不足してきますと、お金が何の意味もなくなります。」
「~若い人には農業をやった方がいいですよと言っている~」
「世の中を経済学者が仕切っている間はだめでしょうね。」
「特に哺乳類は、女にモテなくなったら、あとは死ぬだけなんです。」
「~若者は無反応になりましたよね。」
「問題は、人間の能力は使わないと退化する~」
「~経済最優先社会の弊害は、人間の根本を揺るがす危険性があるっていること~」
「~今、人類は退化していると思います。」
「お金さえ払えば何でも手に入る贅沢な時代が終わるのは、ホント目の前なんです。」
「日本というのは科学技術立国で、科学の最先端を行っている国だと~そんなこと、あり得る道理がありません。」
「~放射能の無害化~たぶん無理でしょう。」
「~放射能のゴミに関する限り、棄ててはいけないんです。」
「美は利害関係があってはならない」
「大規模農業っていうのは~倒れるまで進むしかないという宿命~」
「自然は成長しませんもんね。」
「満腹の子に躾は出来ない」
「徴農制」
「自分らの食い分を自分らで生み出せる国民は、ホント強いからね。」
「やっぱり人間は一生に一遍は、飢餓を経験しないとダメなんじゃないですかね。」