青が違う

■青が違う

◎夏の青空が垣間見える  禅智  
大型の台風8号が接近している。予想進路図では日本縦断のようだ。被害が少なければいいのにと思いながら新聞を見ていると、立山まるごとウォーキングの記事が載っている。そうこうしている間に朝食だ。桃がまるごと出た。感激であった。
今日は早く出なければならず6時30分には家を出る。太陽がまぶしい。雲も半分ほどある。何か、今日の青空の青が違うように思えた。濃く澄んだ真っ青であった。夏の青なのか。日陰を選んで歩いていたが影も濃い、もう夏到来といった感じだ。

■「六十代の幸福」(俵 萌子著、海竜社、2003年)を読む。
 元気な方である。赤城山山麓に住んでいるのは、羨ましいと思いながら、いつかは自分も山麓に住み、春夏秋冬自然を相手に生活をしてみたいと思っていた。
「いつか、いつかというなら、いまおやりなさい」
「時間は、あるとかないとかいうものではない。自分出作り出すものだ」
「“突然老”という言葉が気に入っている。」
「生きている私」から「生かされている私」という感じに変わってきたこと。
「病院は、戦列離脱者の集まりである。」
「私自身の本番の死を考えるとき、親族を頼りにしてはいけないのだということを、骨身に沁みて学んだ。」
「とにかく、人間は生まれ方と死に方だけは選べない。」
「“病んで三月”〜病んだら、三ヶ月以内に死になさいよ。そのくらいが、本人にとっても、まわりにとっても、ちょうどよろしい。」
「子供の世話にならずに、子供に迷惑をかけずに死ぬ方法があるのだろうか。」

■記憶無し
 昨日は帰宅後夕飯を食べて、本を数ページ読んで疲れて横に置いたところまでの記憶はあるが、気が着いたら朝であった。何とか症候群なんだろうか?