無題

■診察終了
 今日は、心臓の精密検査の日である。昨年5月に一度実施しており、厚生労働省の基準では半年後に実施し、その差異を見て進行の程度を確認し手術の有無を決定する重要な検査である。
 この時期、ノロ患者やインフルエンザ患者のたむろする待合室で待たなければならず、院内感染を恐れたので、長椅子には座らず、一番端に座って待った。普通の人は2時間待ちである。自分は予約してあったのでスルー。
 結果は、問題なしということであった。
 昨年、重症だとか手術が必要と何度も脅かしていた医者から簡単に結果のみ聞かされた。どの項目の値がどれだけなので問題はないとか、大きさがどれだけなので問題ないとかの説明は一切なく、レントゲンの写真を並べて同じでしょう?で終わりである。
 実は、先月東京の専門医で私は詳しいデータと結論を得ていた。東京の専門医では3時間で結論を出したにも関わらず、こっちは1年もかかっている。
 確かに、外科の病気を内科医に頼ったこちらも悪いことは認める。普通紹介してくれると思っていた。甘かった。ながながと10万円以上も費やしている。
 血圧もまったく問題ない。最高血圧で95というのが出て、慌てて図り直す月もあった。薬がちょうど効いてくる時刻であるという説明であったが、私は服用していない。ハンコを押した処方箋がメモ用紙ように束ねてある。
 まあ、新しく病院を建てて患者が来てくれなければ困るということは分かる。問題はその手段である。健康にグレーな人間を病人にしたてる。効かないと言えば薬を倍にしたり、変更したりで様子を見てくださいという方法は幼稚である。診療費もらう資格はないのではと思っている。医者からの言動が原因で仕事を辞めざるを得なくなった人もいるかもしれないが、そんなことは知ったことかということでしょうか。これで、診察終了とした。

■「心臓手術」(石岡荘十著、文芸春秋、2004年)を読む。
 今の自分の病名とほぼ同じ内容であり、自分の考えが甘かったことがわかったり、涙が止まらなかった。
「心臓病の原因はいろいろだが、〜企業戦士の長年のむちゃくちゃな日常生活が〜」
「学習をした賢い患者だけが救われる時代なのだ。」
「心臓手術は間違いなく命がけの経験である。」
「四十歳を過ぎたら、自覚症状などなくても人間ドッグに入ることです。」
「壊死した細胞が生き返ることはない」
「左心室が弱ってきたり、大動脈弁の機能に障害が起きたりすると、〜肺の中にたまる。〜つまり呼吸困難になる。」
「心臓は無口な臓器といわれる。」
「みかけは健康な人が週に千人以上、重い心臓疾患で亡くなっている。」
パターナリズム=(父権主義)」
「酒もタバコもやらないのに、私の血管年齢はもう九十九歳なんですって」
「病気そのものが遺伝するものではなくても、体質は受け継がれると考えられる〜」
「〜謝礼するとして、具体的な相場はどんなものだろう」
国税庁のホームページをのぞくと、医師や看護婦に対するお礼は診療などの対価ではありませんので、医療控除の対象にはなりません、と言っている。」
「人工弁置換手術の〜手術後五年間の生存率は70〜80%、10年間生存率は60〜73%である。」
「〜遺言らしきものを作っておくことも〜」
「モノに対する執着心が急速になくなっている」
「通常、三時間弱は心臓を停めて手術が出来るようになった」
「〜よくぞ手術を決断し、頑張った〜」
「人は何かを失って、初めて失ったものの有難味に気づく。」
「手術そのものがうまくいっても、〜いろいろな不整脈が起こる可能性は十分想定されている。」
「皮を切らせて肉を切り、肉を切らせて骨を断つ」
「〜一度心臓を患うと、傷跡は、島送りになった江戸時代の前科者の入れ墨と同じように世間では映るらしい。」
「GNP〜元気で、長生き、ポックリ」
「恥ずかしいことに、今回入院するまで『問題の故障した心臓のパーツ、大動脈弁を交換したのだから、手術以前より健康になっているはずだ』。あれだけのリスクを乗り越えた。これからの人生は自分に対するご褒美だ。やりたいことは何でもやろう。〜しかし、それはとんでもない間違いだった。」
「診断さえ正しければ、治療はおのずから定まる。」
「知恵や知識が深まれば、命や術後の生活を護る可能性は飛躍的に高まる。」