語らい

■語らい
 今日は呉羽山バードウォッチングが予定されていた。朝から雨が降りしきっている。しかし、自分から26会員にお知らせしているし、中止の連絡が届いていない段階では何が何でも行かなければならない。
 距離は5kmほどか。30分前に着く予定で6時半に家を出て歩く。
 リュックはカバー付きを買ったのでその性能確認もしたい。上部のホックがリュックカバー用だと分かった。
 靴も学校通学用に買ったばかりであるが、安い量販品にした。防水とうたってあるが果たして・・・・。30分もすると靴の中がビチャビチャになる。やはり安物だ!
 神通川を渡るころは、滝のような雨に変わった。ズボンの前も色が変わった。
 集合場所に到着したら、講師担当2名が来ていて、相談されている。
 私の前に福光の方から2名来て戻ったという。どうするかの判断である。
 参加者同士で回りたいという意見ならルート確認だけでもできるという。呉羽山はモヤがかかっている。雨は依然とドシャブリである。
 私が声掛けした3名が集まり、中止にしたいと申し入れ解散になった。こういう日もあるというS田さんの言葉に勇気づけられた。結局、来たのは講師役2名と我々4人のみであった。
 皆、久しぶりの出会いとなったので、しばらく話でもすっか!、となりドーナツ店へ向かう。ズボンに入れた財布のお札が濡れてしまったので、濡れたまま払った。
 2時間ほど楽しい語らいであった。私が驚いたのは、Yさんは私のブログを見てくれており、自分よりよく覚えているということだった。
 みみな草さんに途中まで送っていただき、図書館に向かう。
 日本の庭というDVDを見ようと申請する。85分のDVDである。しかし、図書館のPCは1時間で強制終了されると書いてある。そこで、閲覧前に確認にいったところ、もう一度申請して欲しいということであった。気分が乗っているときに途中で切れ不愉快な思いをしているときに、いったん取り出し返却し、再度申請書を書いて続きを見る気がするか!最初から2枚書いておけばいいが、こういう利用者に不快な思いをさせる仕組みに対して憤りを感じる。

■「毎日が一日だ」(いしい しんじ著、毎日新聞出版、2016年)を読む。
「毎食、冷やし中華しか食べず半年を過ごしたこともある(残りの半年はタンメンだった。)」
「家の中を飛ぶ虫は、親しい誰かの生まれ変わり、という話がある〜」
「うたとは、人間のなかの自然の発露である。」
「目に見えない、おとなでもどうもできない出来事、動きをつかさどる存在、あるいはその動きそのものを、古来日本ではオニと呼んだ。」
「〜見返りを求めず、誰かになにかを贈る。」
「どんな薬であっても、結局、ひとがひとをおもって作る、それが効くのだ〜」
「インドでは古来、この地上をいちばん下で支えているのは、一匹の亀だといわれていた。」
「知り合いのホームレスたち〜」
「ふきのとうは〜摘んで3時間が勝負〜」
「〜効率や私欲とは無縁の、すきとおったまじわりが〜」
「〜透明な存在となって空気に溶けた。」
「朝いちばんからだに入れた食べ物が、その日一日の生の勢い、方向を決める。」
「今様とは七五・七五・七五・七五の形式でうたわれる、歌謡の一種だ。」
「ある一日は、それまでに積み重ねられたすべての一日に支えられている。」
「無職になってはじめて、会社員のすごさがよく見えた。」
「僕たちは待つことを学ばなければならない。」