■ランチ240421
この時期、やはり春の山菜が食べたくなる。しかし、山へは登れない。山ではないところへ行ってみようとくさのさんと連絡を取り合い向かった。県内一円というのはちょっと大げさか。
時間がかかると考えていたのがタケノコであるが、10分ほどで5本掘ることが出来た。今年はなり年というか表年なので、豚も歩けばタケノコに当たるの例えもあったかどうか。
時間が大幅に余ったので、コゴミ、タラの芽、コシアブラ、リョーブ、ハリエンジュを採りにいったら、昼になった。
近くの中華料理の店にする。二人して同じメニューにした。
くさのさん、久々に登場である。
ランチ後はファーストフードへコーヒーを飲みにいったが、満員で座るテーブルがない。仕方が無いので大テーブルの隅に座ったが、落ち着いて話などできない。
帰宅後は、食材を処理する。
山ではないとはいえ、坂はある。もうヘトヘトで病が悪化しないか心配になっている。
しかし、久しぶりに自然に触れていい気持ちであった。
■「哲学100の基本」(岡本裕一朗著、東洋経済新報社、2023年)を読む。
「~当たり前だと見なされる前提を根本的に疑うことは、哲学の共通の特徴と癒えます。」
「人は哲学を学ぶことはできない。ただ、哲学することを学ぶことができるだけである。」
「~いつの間にか忘れてしまった“そもそも”問題を、あらためて問い直すのが“哲学すること”に他なりません。」
「~哲学者の議論を通して、自分自身で考え、自分なりに“哲学する”ことが必要なのです。」
「つまり、①驚き、疑いをいだく→②自分を無知だと感じる→③知恵を求める(哲学)という流れです。」
「真の哲学とは、世界を見ることを学び直すことである」
「哲学者たちが難解で意味が不明な言葉を使うのは、実は病気なのです。」
「どんなに偉大な哲学者であっても、先行する人々や、同時代の人々から、アイデアや表現などを、少なからず借用しているのです。」
「私たちが人間として存在しているかぎり、絶え間なく必然的に哲学している」
「人間は自分のことが一番よく分からないのかもしれません。」
「人間には他の動物のように、特別な装備や能力がなく、いわば“欠陥存在”であることです。」
「知は力なり」
「~“よいか悪いか”を言明する道徳判断は、結局のところ“好きか嫌いか”の趣味判断になってしまうのです。」
「およそありうるかぎりで最大の不幸は、仕事のない生活であり、生涯の終わりにその実りをみることのない生活である。」
「~人間活動の大半が、“信じること”にもとづいているからです。」
「~疑うためにはまず、学ぶことが必要であり、さらには信じることが前提される。」
「苦悩は人生から生じるものであり~」
「哲学を学ぶと悩み苦しみ、ついには狂気か自殺にいたる」
「平等を基礎とするリベラリズムか、それとも自由を徹底的に追求するリバタリアリズムか~」