ついたち

■ついたち
 今日はエアコンを付けるほどではなく、扇風機の風で十分であった。家人が遅出なので、午前中に用事を済ます。そして、送って行った後に昼食である。しかし、食欲もお金もない。国道沿いを走っていると、「一日 半額」という幟が視界に飛び込んできた。
 ウドン屋さんが毎月一日釜揚げうどんを半額にしている。普通盛、大盛り、特盛とある。当然、特盛にする。下流老人にトッピングは天かすとネギで十分である。
 いやというほどウドンを食べ、240円であった。これで、夕飯も不要になる。
 帰宅後、草むしりの予定であったが、扇風機の前で横になっていたら夕方になり止めである。突然、規則正しい爆鳴に起こされる。花火のようだ。毎年この日は、納涼花火大会である。幼い頃、まだ生きて居た父親に神通川べりに連れて行ってもらい、アイスクリームを買ってもらったことと、蚊刺されがひどかったことを思い出す。今日もゆっくりとした時間が過ぎた。

■「百姓たちの山争い裁判」(渡辺尚志著、草思社、2017年)を読む。
「草や木の枝は、それらを青いまま田に埋め込んだり(刈敷)、焼いて灰にしたり(草木灰)、積み上げて発酵させたり(堆肥)、厩の床に敷いて飼っている牛馬の糞と混ぜたり(厩肥)、いろいろなかたちで肥料として利用されたが、それらの原料はいずれも草や木の枝だった。」
「〜百姓のなかには、漁業・林業・商工業など多様な職業に携わっている人たちが含まれていた。」
「〜イラクサという山野草から線維を取って織物を織り〜」