別れ

■「日本の自殺」(グループ1984年、PHP、1984年)を読む。
 日経ビジネスで紹介されていた。ローマ帝国の滅亡を例に、常に内部の腐敗から滅びることを示唆している。国家だろうが、組織だろうが、家庭だろうが、個人だろうが同じではなかろうか。今検討されているミニマム○○という政策は、堕落の引き金になるということが分かった。では、どうすればいいのか?1984年に書かれてが、2011年も同じことが起きている。まさに、失われた20年であろう。生活保護300万人だったか、自殺者3万人、親殺し・子殺しの多発、文明の崩壊は内部から始まるというが、もう始まっているのではないだろうか。豊かさの代償という言葉が象徴的だった。
 久々に出会えた名著である。自分が何となく感じていたことが、きちんと整理され論破されていた。こんな昔から予知していた人達がいたとは驚きだ。ローマクラブの日本版か。

■別れ
 社会生活を送っていて、一番堪えるのが別れではないか。職場で退職する人がいると力が抜けてしまう。まして、自分と懇意のある人ならことさらそのショックは大きく、精神の回復まで長い時間が必要になる。
 今日、Kさんが去っていった。自分が今年「剣岳」登頂が出来たのは、このKさんの「あんたなら大丈夫だ。登れるよ。」と言ってくれたおかげである。それなくして、カニの縦バイは登れなかったと思っている。
 「また、どこかの山でお会いしましょう。」とお決まりの挨拶をした。
 Kさんは、お遍路をされると聞いた。いつまでもお元気でいて欲しい。
 Kさんのフィールドは穂高連邦で自分とは異なる。来年は穂高方面を狙うつもりでいるので、涸沢辺りで再開できればこんな嬉しいことはない。